大阪府東大阪市と奈良県生駒市の境、生駒山を東西に貫く全長3388mの鉄道トンネルが、旧生駒トンネル(正式名は生駒隧道)。大正3年、近畿日本鉄道の前身となる大阪電気軌道が、日本初の標準軌複線トンネルとして開通させたトンネルで、昭和39年、生駒トンネルの開通により役目を終えています。
近鉄の基礎を築いたトンネルが、清酒・ワインの貯蔵庫に
生駒山を貫くという私鉄として無謀とも思える大計画ですが、大阪〜奈良間で既に営業していた官鉄関西本線に対抗するため、距離の短縮を図ることが社運のかかる至上命題だったのです。
「周到な計算と熱心な議論の末に下したこの英断こそ、現代における当社の礎となっているのである」(平成22年刊『近畿日本鉄道100年のあゆみ』)。
建設を担った大林組も、「はなはだしいときは一カ月に三〇センチという進行状態であった」(昭和47年刊『大林組八十年史』)という難工事、さらには工事代金の未払いという困難に遭遇しています。
全長3388m、開通当時には中央本線の笹子トンネル(4656m)に次ぐ長大なトンネルで、明治44年6月1日に掘削が始まり、当初は手掘り、途中から削岩機も導入されましたが、大正2年1月26日の落盤事故では19人の犠牲者が出ています。
生駒山を貫いて長大なトンネルを掘削するという難工事のため、大阪電気軌道は経営危機となり、宝山寺に乗車券を購入してもらい、その代金を給与支払いに充当ということも(建設を担った大林組も、連鎖的に経営危機に)。
開通後、金森又一郎(かなもりまたいちろう)ら経営陣の努力によって苦境からなんとか脱し、天理軽便鉄道(現・近鉄天理線)・吉野鉄道(現・近鉄吉野線)の買収、計画路線免許の買収と、参宮急行電鉄など子会社設立による積極的な路線拡大により、大阪府・奈良県・京都府・三重県・愛知県にまたがる一大路線網が完成したのです(これが現在の近畿日本鉄道)。
困難な末、大正3年4月18日に完成した旧生駒トンネルは、イギリス積みのレンガ造り。
「競争と進化の末に関西経済産業のすそ野を拡大させた都市間高速電車の歩みを物語る近代化産業遺産群」のうち、近畿日本鉄道関連遺産として、経済産業省の「近代化産業遺産」にも認定されています。
旧生駒トンネルの大阪側入口は(入口は大阪側のみ見学可能)、新生駒トンネルに入る直前にある石切駅から徒歩数分の場所。
近くには生駒トンネルの完成で廃駅となった孔舎衛坂駅(くさえざかえき)の2面2線でカーブを描いたホームの跡も残されています。
現在、トンネルは特別なイベントを除いて非公開ですが、旧生駒トンネルの環境特性(年間平均気温16.7度、湿度98%)を活かし、トンネル入口から500m入った先の横坑でワイン、清酒が貯蔵され、「生駒隧道」ブランドを付けて販売されています。
旧生駒トンネル | |
名称 | 旧生駒トンネル/きゅういこまとんねる |
所在地 | 大阪府東大阪市日下町 |
電車・バスで | 近鉄石切駅から徒歩5分 |
駐車場 | なし |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag