興禅院

興禅院

大分県由布市湯布院町にある曹洞宗の古刹が、興禅院(こうぜんいん)。建徳元年(1370年)、無著(むちゃく)禅師によって開かれたと伝えられ、戦国時代の天正9年(1581年)には、イエズス会によりレジデンシア(宣教師駐在所)が、天正 14年(1586年には教会が建てられたという歴史も残されています。

戦国時代末にはキリスト教会も建っていた地

興禅院

大友家第21代の当主・大友宗麟(おおともそうりん/大友義鎮・おおどもよししげ)は、天文20年(1551年)、山口で布教をしていたフランシスコ・ザビエルを豊後府内(現・大分市)に招き会談を行ない、ポルトガル王へ親書と使者を遣わしたため、翌年から多くのポルトガル人宣教師が豊後を訪れています。
大友宗麟はキリスト教の布教を保護しながらも、自らは禅宗に帰依し、剃髪して「宗麟」と名乗っていましたが、天正6年(1578年)、キリスト教の洗礼を受け(洗礼名・フランシスコ)、キリスト教徒になっています。

興禅院に教会が建てられたと伝えられるのは、この大友宗麟がキリスト教徒になった時代ですが、天正14年(1586年)には島津氏がここ豊後府内に侵攻し、その翌年には秀吉の九州侵攻を受けているので、秀吉のバテレン追放令などまでのわずかな期間に、この地にキリシタン文化があったということになります。

興禅院に聖ミゲル教会が建てられ、村人が信徒となったのは天正14年(1586年)。
その年の12月には島津軍が湯布院に押し寄せ、教会も焼き払っているので、遺構は境内にたたずむ小さな塔のみとなっています。
ローマ法王庁の記録にもYUINと記され、当時1500人〜2000人ものキリシタンがいたと推測され、神仏習合の山岳信仰で栄えた由布岳の山頂にも十字架が立てられたほど。

現在由布市内に残る隠れキリシタンの墓は、500基ともいわれています(並柳墓地にキリシタンの墓が現存)。

細川忠興(ほそかわただおき)の命により慶長5年(1600年)には禅寺として復興し、耶馬溪にある「青の洞門」を作ったとされる越後生まれの僧・禅海も修行し、得度した寺と伝えられています。
瓦などに細川家の家紋(九曜紋)が残るのは、細川家時代の名残。
境内には十六羅漢像、十三仏が各所に配され、独特の雰囲気を醸し出しています。

興禅院
名称 興禅院/こうぜんいん
所在地 大分県由布市湯布院町川南144-1
関連HP 由布院温泉観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR由布院駅からタクシーで3分
ドライブで 大分自動車道湯布院ICから約4.3km
駐車場 2台/無料
問い合わせ 興禅院 TEL:0977-84-2543
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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