大分県速見郡日出町(ひじまち)にある、大分県下で唯一現存する藩校の遺構が、致道館(ちどうかん)。かつて日出城(暘谷城・ようこくじょう)東二の丸(現・日出中学校)に位置した日出藩の藩校で、安政5年(1858年)、日出藩15代藩主・木下俊程(きのしたとしのり)の命により創立したもの。
幕末につくられた日出藩の藩校が現存
それまであった藩校「稽古堂」をさらに増築して、致道館と改称。
幕末という時勢もあり、士族の子弟に限らず、町民にも門戸を開放し、学問だけでなく礼節や道徳も重んじられたと伝わっています。
木下俊程は、慶応3年(1867年)に隠居し、35歳で没していますが、16代藩主・木下俊愿(きのしたとしまさ=藩論を尊皇派にまとめ、戊辰戦争では新政府軍、版籍奉還で日出県の知藩事)の時代には、算術、兵学、洋学(オランダ語)なども教科に加えられています。
現存する建物は木造2階建てで、2階には寄宿舎生活を送る寮生が寝泊まりしていました。
明治4年の廃藩置県で廃校になるまで、8歳以上の子弟は必ず入学させ、寮生、通学生合わせて250人が学んでいます。
廃藩後は、暘谷女学校、日出町役場や図書館などに転用されていますが、昭和26年、日出中学校の建設に伴い、現在の西二の丸跡地に移築保存。
大分県下で現存する唯一の藩校として、大分県の史跡にも指定されています。
建物を支える野面積み(のづらづみ=自然石を加工しないで積み上げた石積み)の石垣も見事。
老朽化のため平成27年3月まで解体復元工事が行なわれ、見事に復活しています。
庄内藩の藩校の名も致道館ですが、論語の一節「君子學以致其道(君子学ンデ以テソノ道ヲ致ス)に由来。
庄内藩の藩校・致道館は、文化2年(1805年)、7代藩主・酒井忠徳(さかいただあり)が創設した藩校なので、日出藩よりも先輩にあたります。
致道館 | |
名称 | 致道館/ちどうかん |
所在地 | 大分県速見郡日出町2594-4 |
関連HP | ひじ町ツーリズム協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR日豊本線暘谷駅から徒歩5分 |
ドライブで | 大分空港道路日出ICから約2.5km |
駐車場 | 二の丸館駐車場(12台/無料)を利用 |
問い合わせ | 致道館 TEL:0977-72-8298 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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