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山田さんのルーツを探せ!

全国12位、シェア0.65%の大姓が山田さん。山田さんのお仲間は全国に82万人を数え、山田太郎さんだけでも全国に200人ほど暮らしています。山田姓は典型的な地形姓で山の中を耕作して田んぼを開いたことに由来する名前です。文部省唱歌『案山子』の「山田の中の一本足のかかし」に歌われる山田です。

天理の山田城主は大仏を修繕

山の田んぼで山田、山田姓は日本を代表する地形姓のひとつ。
古代には少ない、中世以降、新田開発が山中へと移行するにあたり、全国各地に約2000あるといわれる山田地名から姓が続々と発生したので、山田姓のルーツもそれに応じて各地に点在しています。

有名な山田さんといえば作曲家の山田耕筰、タレントの山田邦子、作家の山田詠美など皆、東京出身。
モデルの山田優はご存じの通り沖縄出身で、ルーツの話には結びつきません。

この山田姓は単に数多くあるという以上に、任意の姓をあげる場面の例として、必ずといっていいほど全国に200人ほどいらっしゃる「山田太郎」の名が使われます。
どうやら、日本を代表する姓は「山田」さんともいえそうなのです。

平凡な姓とも思えるこの山田姓にも、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらのやまだのいしかわのまろ/祖父は蘇我馬子、従兄弟が蘇我入鹿)などという、いやに長い名前を持つ有名人物が古代に登場してくるのだから一筋縄ではいきません。
実は、山田姓は決して単純な名前ではなく、その発祥の歴史もかなりの古さと格式を誇っているのです。

奈良時代にまで遡ると、葛城氏(かつらぎうじ)の一族である山田直(やまだのあたい)、周霊王の太子晋の子孫と称する山田宿祢氏(やまたのすくね)、漢の帰化系氏族で河内国交野郡を発祥とする山田史(やまだのふひと)、中臣氏一族で讃岐の山田県主(やまだのあがたぬし)、そのほかにも山田造(やまたのみやつこ)、山田連(やまだのむらじ)など有力な山田氏族がいたといいます。

戦国時代には、平城天皇第五皇子山田皇子の後裔と伝えられる、山田城主の山田道安(やまだどうあん)が奈良の大仏殿を補修しています。
山田氏の本拠地には岩掛城(いわがけじょう/現・奈良県天理市山田町下山田)があって、山田城、山田古城とも呼ばれています。

下山田と中山田の間の張り出した尾根上に位置し、山の中に田んぼがあったのだと推測できます。
山田道安は、山田民部大輔順貞が本名。
後に道安と号し、絵画や彫刻に優れた才能を発揮、鎌倉円覚寺所藏・重要文化財の『鐘馗図』は現存する貴重な作品となっています。

永録10年(1567年)、松永久秀の軍勢が大仏殿に陣を構えていた三好勢に夜討ちをかけ、大仏殿などが炎上、大仏も原型を留めないほどに溶け崩れたとのこと。
山田道安は、翌年、大仏および大仏殿の修理を実施。

道安親子の墓や山田氏一族の墓は、真言宗高野山派の末寺、天理市山田町中山田の蔵輪寺に残されています。
ちょうど寺の北側の山が山田城跡。
奈良周辺の山田さんならこの山田城と蔵輪寺は要チェックのパワースポットに。

名古屋市の丸八マークは実は山田さんの家紋

山田さんには中世以降の武家の分流も多いのも特長。
まずは、清和源氏系では、尾張源氏浦野氏の一族で尾張山田郡発祥の山田氏や、清和源氏満政流八島氏の一族である源重実(佐渡源太)を祖とする山田氏がいて、この流れは鎌倉時代の承久の乱で京方の武将として活躍した山田重忠(やまだしげただ)を輩出しています。

尾張国(現在の愛知県西部、名古屋市周辺)北東部は広範囲にわたって山田郡でした。
奈良時代~平安時代、東大寺の荘園である、山田荘(名古屋市北西部、瀬戸市、長久手市の一帯)がこの地にあったのがその名の由来。

山田重忠(やまだしげただ)は、源頼朝が鎌倉幕府を開くと尾張国山田荘の地頭に任じられ御家人となりました。
ところが、後鳥羽上皇が鎌倉幕府討幕の挙兵をすると、朝廷の倒幕軍に参加。
朝廷方の大将である藤原秀澄(ふじわらのひでずみ)が臆病だったこともあり、朝廷軍は惨敗し山田重忠も京で自害しています。

名古屋市西区には山田という地名が現存。
また、名古屋市北区にも山田町があります。

山田幼稚園脇の廣福禅寺(愛知県名古屋市北区山田町4丁目)の門前には「山田重忠旧里の碑」が立っています。
山田町3丁目に建つ山田八幡宮や山田町はもちろん山田荘に由来する地名。
余り知られていませんが、名古屋市の丸八マークは実は山田氏の家紋でもあるのです。

名古屋市南区にある星崎城跡は、治承年間(1177年〜1181年)に山田重忠が築城した城跡。
現在は名古屋市立笠寺小学校の敷地となっていますが、星崎という地名は現存。
また本城、堀割などいかにも城跡を連想させる字名も。
星崎城跡も山田さんの重要なルーツのひとつです。


鳥取の山田さんは北条八幡宮に注目

さらに、摂津国能勢郡山田発祥の山田氏や、近江国の清和源氏満季流の山田氏、美濃国山県氏の一族、甲斐国加賀美氏の一族で信濃国諏訪郡に広がった山田氏、木曾義仲の挙兵に加わった信濃国佐久郡の山田氏、ほかに戦国から安土桃山時代にかけての伯耆国の武将として有名な山田重直(伯耆国久米郡堤城=鳥取県東伯郡北栄町を本拠地とする伯耆山田氏の一族)、さらに、薩摩、土佐、能登、陸奥の山田氏、武蔵七党丹党の白鳥氏から出た山田氏や、上野・下野に那須氏や八田氏の支族の山田氏がいます。

鳥取県の山田さんにとっては、東伯郡北栄町北尾にある北条八幡宮は大切なルーツ。
なぜなら『伯耆民談記』によれば、承平5年(935年)に長田山城入道が北条郷山田別宮(石清水八幡宮の別宮)に入部したのが伯耆山田氏の始まりだからです。
この山田別宮が現在の北条八幡宮ということに。

古代寺院の山田寺のチェックしておきたい

さてここで、最初の方に出てきた蘇我倉山田石川麻呂にもう一度登場してもらいましょう。

昭和57年に回廊が倒壊したままの状態で発掘されて大きなニュースとなったのが、奈良県桜井市山田にあった古代寺院の山田寺(やまだでら)。
蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂(そがのくらやまだのいしかわまろ)の発願により7世紀半ばに建て始められましたが、石川麻呂は謀反の疑いをかけられ、金堂前で一族とともに自害することになります。

その後、山田寺は孫娘である持統天皇らが建立を継続したといわれ、現在は「山田寺跡」として国の特別史跡に指定されています。

興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部

佐賀の有田にも山田神社が

寺の後は神社や城跡というわけですが、こちらは全国に散在。
まずは、伊万里から有田方向に走って来ると左手に見えるのが唐船(とうせん)城址で、ここが唐船山の山田神社。

最初に迎えてくれるのは旧西有田町指定文化財にもなっていた神明鳥居で、全山が堅い流紋岩という切り立った山容は、さすがに天下の松浦党一族の城跡らしい雰囲気です。

佐賀県西松浦郡有田町山谷牧にある唐船城跡の山田神社。
唐船城は、有田川が三方を囲む天然の要害。
山田神社は、唐船城の守護神だった山田野三所権現(やまだのさんしょだいごんげん)です。

ほかに、滋賀県彦根市宮田町の山田神社、栃木県矢板市大字山田の山田城跡山田神社、長崎県雲仙市吾妻町の肥前山田城跡、高知県香美市土佐山田町の土佐山田城跡、埼玉県比企郡滑川町山田の武蔵国山田城跡など多彩。

彦根市宮田町の山田神社。
社伝によれば創建は孝安天皇の御代というから古代にまで遡ります。
山田氏の氏神のひとつ。

現在、山田姓は東西を問わず全国に分布していますが、中部地方では多く7位(1.02%)、とくに岐阜県では大姓3位(1.50%)、福井県4位(1.12%)、愛知県では4位(1.16%)、石川県が5位(0.81%)となっています。
発祥の多さに合わせて家紋もまちまちで、丸に八の字、山文字、藤丸、左三つ巴、梅鉢、片喰(かたばみ)、九曜、桔梗、茶の実、五七桐などがあげられます。

取材と編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)
人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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