かつてのどかな田園風景とが広がり、見沼通船堀の舟運で栄えた大間木村(おおまぎむら=現・さいたま市緑区大間木)の鎮守社が附島氷川女体神社(つきしまひかわにょたいじんしゃ)。附島(つきしま)という地名は、かつて江戸湾(東京湾)が内陸まで侵入していた時代、島だったという名残といわれています。
古代には海が迫った島だったという旧附島村の鎮守社
古代には北側の崖下(見沼通船堀西縁)まで海が広がり、入江だったと伝えられています(旧浦和市域の3分の2が海底)。
附島氷川女体神社は、農業用水の確保のために関東郡代・伊奈忠治が見沼溜井(みぬまためい)を築くため附島と木曽呂との間に築かれた八丁堤の上に鎮座しています。
寛永6年(1629年)に堤は築かれているので、神社はそれ以降の鎮座ということに。
この見沼溜井は、徳川家康の命で伊奈忠次が行なった利根川の東遷事業(これにより江戸市中の洪水が減少)、荒川の西遷で、一帯の農業用水が不足したため築かれたもの。
附島氷川女体神社は、見沼溜井の造成によって水没した三室村の氷川女体神社(現・さいたま市緑区宮本2丁目)の社領の代替地として、附島村に与えられた社領の鎮守社として寛永6年(1629年)以降に創建されたものです。
小さいながらも本殿は江戸時代初期築と推測されています。
祭神は、田の女神である奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)。
附島村は、明治9年に大間木村に吸収合併し、その名を神社にのみ残しています。
附島氷川女体神社 | |
名称 | 附島氷川女体神社/つきしまひかわにょたいじんじゃ |
所在地 | 埼玉県さいたま市緑区大間木1522 |
電車・バスで | JR東浦和駅から徒歩8分 |
ドライブで | 東京外環自動車道川口中央出口から約2.5km |
駐車場 | 1台/無料 |
問い合わせ | さいたま市浦和観光案内所 TEL:048-883-1055 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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