瓦曽根溜井

瓦曽根溜井

埼玉県越谷市にある関ケ原合戦の行なわれた慶長5年(1600年)頃に元荒川に築かれた堰堤で生まれた遊水池が瓦曽根溜井(かわらぞねためい)。現在は越谷市を流れる人工河川の逆川(さかさがわ/松伏溜井が起点)の下流部で、葛西用水路(日本三大農業用水)の一部で、谷古田用水、八条用水を分水。

江戸時代に築かれた遊水池を見学

天正18年(1590年)、徳川家康が豊臣秀吉の命により江戸に入ると、代官頭となり、農政全般を受け持った伊奈忠次は、持ち前の土木技術を活かし、文禄3年(1594年)に利根川東遷事業に着手。
そして荒川筋では荒川六堰のうち奈良堰など五堰を設け、熊谷扇状地に広がる水田地帯を開発しています(次男の伊奈忠治と2代にわたり、河川の付け替えや水田地帯の開発を担当)。

伊奈忠次・忠治親子は、利根川 ・荒川という関東平野を流れる二大河川の乱流跡や旧河道を利用して運河を開削(これが関東流、伊奈流と呼ばれる技術)、洪水は遊水池(溜井)に流水させ、自然にコントロールしようと考えたのです(つまり溜井とは用水の水を蓄える貯水池のこと)。
当時としては合理的な仕組みですが、上流側では排水不良が起こり、上流だけでなく下流側にも水争いが生まれています。

瓦曽根溜井の水不足から、寛永6年(1629年)〜寛永7年(1630年)、逆川が開削され、導水されるようになっています。

現在、往時の姿のままに溜井のかたちを残すものは上流側、越谷市と松伏町の境界にある松伏溜井(まつぶしためい)のみ。
瓦曽根溜井は、昭和36年〜昭和41年の河川改良で元荒川から分離され、さらに平成9年に堰も失い、現在では広々とした水面、元荒川への放流口に往時を偲ぶだけとなっています。

瓦曽根溜井の南岸沿いには葛西親水緑道があり、散策に絶好。
また元荒川への放流口近くには埼玉県道115号(越谷八潮線)のしらこばと橋が架かっています。
谷古田用水の取水口となる谷古田用水元圦は、国内で現存する最古のレンガ水門です(水門一帯は谷古田取水口公園になっています)。

瓦曽根溜井
名称 瓦曽根溜井/かわらぞねためい
所在地 埼玉県越谷市越ヶ谷
関連HP 越谷市公式ホームページ
電車・バスで 東武越谷駅から徒歩10分
ドライブで 東北自動車道浦和ICから約7km
問い合わせ 越谷市建設部河川課 TEL:048-963-9203/FAX:048-963-9198
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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