八幡山古墳(関東の石舞台)

八幡山古墳(関東の石舞台)

埼玉県行田市藤原町にある若小玉古墳群を構成する古墳が、八幡山古墳。昭和9年11月、小針沼の干拓工事で盛土が取り去られ、横穴式石室が露出。奈良県明日香村の石舞台古墳(蘇我馬子の墓する説が有力)に似た雰囲気のため、関東の石舞台と称されています。

被葬者は聖徳太子の舎人だった物部連兄麿!?

八幡山古墳(関東の石舞台)

文化・文政年間(1804年〜1829年)に記された武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿』にも、横穴式石室の一部が露出し、石室内に八幡大菩薩が祀られていると記されていることから、すでにかなりの部分が露出していたことがわかります。

古墳の築造年代は、出土した副葬品などから古墳時代終末期の7世紀中頃。
畿内ではすでに大化の改新前後で、律令制が始まる飛鳥時代で、方墳、円墳、八角墳が築かれています。
八幡山古墳も、墳丘が失われているものの、直径80mほどの円墳。
長さ14.7m(往時は16.7m)、幅4.8mの石室の内部は、土・日曜、祝日、そして「埼玉県民の日」に公開されています。
被葬者は、聖徳太子の舎人(とねり=警備と雑用を担った官職)として活躍後、633年に无邪志国造(むざしのくにのみやつこ=武蔵国造)となった物部連兄麿(もののべのむらじえまろ=物部兄麻呂)ではないかと推測されています。
終末期の貴人の葬送に使われた絹布に繰り返し漆を塗り重ねて作られた棺(乾漆棺)の破片(漆塗木棺片)が出土したことで、物部連兄麿説が有力に。
物部連兄麿は、東日本最古の寺とされる寺谷廃寺(滑川町)を建立、武蔵国に仏教を導入したとされています。

関東の石舞台と形容したのは、國學院大學教授・大場磐雄(おおばいわお/文学博士)。
さきたま古墳公園から2kmほどしか離れていないので、時間が許せば合わせて見学を(ただし八幡山古墳には駐車場がありません、さきたま古墳公園から徒歩で往復すると1時間ほどかかります)。

八幡山古墳(関東の石舞台)
八幡山古墳(関東の石舞台)
名称 八幡山古墳(関東の石舞台)/はちまんやまこふん(かんとうのいしぶたい)
所在地 埼玉県行田市藤原町1-27-2
関連HP 行田市公式ホームページ
電車・バスで 秩父鉄道行田市駅からタクシーで10分
ドライブで 東北自動車道羽生ICから約11km
駐車場 なし
問い合わせ 行田市生涯学習部文化財保護課 TEL:048-553-3581/FAX:048-556-0770
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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