埼玉県日高市にあるJR八高線・川越線の駅が、高麗川駅(こまがわえき)。昭和8年4月15日、東飯能駅〜越生駅間の開通と同時に、当時の高麗川村の玄関駅として開業。昭和38年〜平成11年には太平洋セメント専用線も設けられていました。関東屈指の難読駅名としても知られています。
帰化人の里、高麗郷の玄関駅
駅名の高麗川(こまがわ)は、高麗郡を流れる川の名。
高麗(こま)とは、古代朝鮮半島の国家・高句麗(こうくり、コグリョ)と深い関係性が推測できる地名で、霊亀2年(716年)に、高麗郡が設立しています。
朝鮮半島の高句麗は、天智2年8月(663年10月)の百済復興を目指す倭国・百済遺民連合軍と、唐・新羅連合軍との白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で倭国側が敗北、唐が高句麗を包囲し、ついに天智7年(668年)滅亡しています。
亡命した高麗人は、現在の群馬県など関東各地に点在していましたが、霊亀2年(716年)に現在の日高市一帯に集められ、高麗郡ができたのです。
このことは、『続日本紀』(しょくにほんき)などに記されており、さらに高麗人のリーダー、高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)ゆかりの地が、高麗川駅周辺には数多く残されています。
渡来人は、大陸の進んだ技術や文化を、高麗郷に伝えたと推測でき、一帯には高麗王若光の菩提寺と伝わる聖天院(JR高麗川駅から徒歩20分)、高麗王若光を「高麗明神」として祀る高麗神社・高麗家住宅(JR高麗川駅から徒歩20分)、高麗郷古民家(旧新井家住宅)などがあります。
駅前広場に韓国の民俗信仰「将軍標」(장군표・チャングンピョ=魔除けのための境界標)一対をモチーフにしたモニュメント「日韓交流の塔」が立っているのは、そんな高麗郷の歴史から。
ちなみに八王子と倉賀野を結ぶ八高線(92.0km)は、八王子駅〜高麗川駅間が電化区間で、朝夕には東京方面の直通列車が運転されています。
高麗川駅〜高崎駅間を走る列車は気動車(ディーゼルカー)。
ともに特急、急行など定期優等列車の運転はなく、普通列車にはグリーン車も併結されていません。
高麗川駅 | |
名称 | 高麗川駅/こまがわえき |
所在地 | 埼玉県日高市原宿 |
関連HP | JR東日本公式ホームページ |
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