義仲寺

大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)は、源頼朝軍に追われこの地で討ち死にした木曽義仲(きそよしなか)の塚に、巴御前が草庵を建てたのが始まりといわれる古刹。1553(天文22)年に佐々木六角氏が再興しています。また、1689(元禄2)年に木曽義仲が大好きだったという松尾芭蕉が「無名庵」を築いたことでも知られています。

芭蕉が庵を結び、木曽義仲と芭蕉の墓がある大津の名刹

松尾芭蕉の墓

木曽義仲の墓

1184(元暦元)年1月、近江の粟津(あわづ)で敗死し、この地に葬られて塚(木曽塚)が築かれたと伝えられています。
初めは、塚の上に柿の木が植えられ、その後、墓石となり、さらに宝篋印塔(ほうきょういんとう)がすえられたのだとか。
本堂の朝日堂(ちょうじつどう)には、本尊の聖観音菩薩が祀られています。

松尾芭蕉は、膳所(ぜぜ)で経済的に援助された近江蕉門の一人・水田正秀(みずたまさひで)らが芭蕉のために義仲寺の境内に新築した「無名庵」(当初の名は粟津草庵)でたびたび句会を開いています。
さらに芭蕉は木曽塚(義仲寺)に骸(から)を埋葬することを遺言、1694(元禄7)年10月12日、大坂で芭蕉が客死すると門弟は、義仲寺に遺骸を葬っています。
境内には、木曽義仲の墓に並んで芭蕉の墓も造られ、境内全域が国の史跡に。
「木曽殿と背中合わせの寒さかな」は、松尾芭蕉の門人・島崎又玄(ゆうげん)の句。
また、境内の翁堂(おきなどう)には、松尾芭蕉坐像が安置されています。

1月第3日曜には『義仲忌』、5月第2土曜には、翁堂に鎮座する芭蕉翁の像に白扇を奉納する『奉扇会』が、11月第2土曜には『時雨忌』(芭蕉の忌日)が開かれています。

ちなみに、義仲寺の前の道は旧東海道です。

悲劇の武将 木曽義仲(源義仲)
信濃国木曽谷(現在の長野県木曽郡木曽町)に逃れていた源義仲(木曽義仲)は、以仁王(もちひとおう)の平家追討の令旨に呼応し、出陣。
越中国(現・富山県)の倶利伽羅峠の戦い(くりからとうげのたたかい)で、平維盛率いる平家の大軍を打ち破り、近江国へ入り、比叡山延暦寺の東塔惣持院に陣を構えます。
木曽義仲軍の動きを察知し、平家は安徳天皇を連れて京を脱出。
後白河法皇は比叡山に身を隠します。
木曽義仲は後白河法皇を奉じて京に入りますが、公家と対立し、京の治安回復にも失敗。
源頼朝との対立も宇治川の戦いに惨敗し、敗走。
ついに粟津の戦いで討ち死に。享年31。
義仲の生誕地は、定かでありませんが埼玉県比企郡嵐山町の鎌形八幡宮とも伝えられています。
首塚は京都市東山区の法観寺に。長野県木曽町の徳音寺には、義仲の霊廟が築かれています。

木曽義仲

 

義仲寺 DATA

名称 義仲寺/ぎちゅうじ
所在地 滋賀県大津市馬場1-5-12
関連HP びわ湖大津観光協会
電車・バスで JR膳所駅から徒歩5分
ドライブで 名神高速道路大津ICから約2.5km
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ TEL:077-523-2811
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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プレスマンユニオン編集部

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