滋賀県彦根市、彦根城下の中心にある浄土宗の寺が宗安寺(そうあんじ)。彦根藩初代藩主・井伊直政の正室・東梅院が安国寺を再興したのが始まり。もともとは箕輪城下(現・群馬県高崎市)にあった足利尊氏、足利直義開山の寺でしたが井伊直政とともに、高崎城下、佐和山城下、そして彦根城下へと移ったもの。
赤門と呼ばれる山門は、佐和山城の城門を移築
佐和山城下に移った際に、関ヶ原の合戦で西軍の将・安国寺恵瓊の名の安国寺を避け、開基である東梅院(井伊直政正室)の父・松平康親(まつだいらやすちか=三河国吉良出身で松井松平家の祖)の戒名・無月宗九居士の「宗」と母の戒名・心誉理安大姉の「安」をとって「宗安寺」と改めたもの。
その後、2第藩主・井伊直孝の彦根城と彦根城下町の建設に伴い、大手町(現在の夢京橋キャッスルロード)に移されました。
道路に面した朱塗りの山門(通称赤門)は創建時に佐和山城(彦根城築城で破却)の城門を、そして本堂は江戸時代中期に長浜城付属御殿を移築したもの。
本尊・阿弥陀如来立像は、大坂夏の陣の際、淀君の念持仏(ねんじぶつ)だったと仏像を持ち帰ったという伝承があります。
大坂冬・夏の陣戦死者の追弔会を行ない、さらに徳川家康の位牌を安置朝鮮通信使の三使(正使・副使・従事官)の宿泊先となるなど彦根藩でももっとも高い格式を誇った寺でした。
朝鮮通信使の宿泊所、宗安寺
朝鮮通信使は江戸時代に12回来日し、10回は江戸を往復していますが、彦根はいずれの回にも宿泊先として選ばれています。
宗安寺では書院奥の間に特別の書簡台を設け、朝鮮国王からの国書が置かれ、部屋の近くには、国書をのせて運ぶ輿の輿置所が設置されていました。
高官三使の宿泊部屋にはそれぞれ新しく湯殿風呂 と雪隠(トイレ)を付けた豪華なものでした。
朝鮮通信使の記録には、宗安寺の屏風・布帳・什物の華麗さは、陸路通って来た中で最上と記され、彦根藩・井伊家の歓迎ぶりがよくわかります。
残念ながら書院は明治36年に改築縮小されたため、三使の間は現存していませんが、書院玄関は江戸時代のもので、高官三使も出入りした場所だと推測できます。
宗安寺 | |
名称 | 宗安寺/そうあんじ |
所在地 | 滋賀県彦根市本町2-3-7 |
関連HP | 彦江観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR彦根駅から徒歩20分 |
ドライブで | 名神高速道路彦根ICから約3.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 宗安寺 TEL:0749-22-0801 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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