玄宮園・臨池閣

玄宮園・臨池閣

文化10年(1813年)、彦根藩11代藩主・井伊直中(いいなおなか)の隠居に際して再整備されたのが玄宮園。隣接する楽々園とともに江戸時代には「槻御殿」(けやきごてん)と呼ばれた彦根藩の下屋敷(二の丸御殿)でした。その玄宮園でもっとも絶景の地といわれるのが、臨池閣(りんちかく)の建つ場所です。

大老・井伊直弼も接待に活用

「楽々園の厳粛な北画的手法に対して玄宮園の優雅な南画風の構成」と評される玄宮園の庭を眺める一等地で、琵琶湖を模した大池に迫り出すように造られた臨池閣。
幕末に大老を務めた井伊直弼(いいなおすけ)が、接待に臨池閣を用いたという記録も残されています。

井伊家は明治時代に民間に貸し出し、竹中家が3代に渡って料理旅館を経営していましたが、平成29年11月に惜しまれつつも廃業となっています。

玄宮園・臨池閣
名称玄宮園・臨池閣/げんきゅうえん・りんちかく
所在地滋賀県彦根市金亀町3-41
関連HP彦根城公式ホームページ
電車・バスでJR彦根駅から徒歩15分
ドライブで名神高速道路彦根ICから約2.8kmで二の丸駐車場
駐車場二の丸駐車場(40台/有料)・京橋口駐車場(160台/有料)・桜場駐車場(110台/有料)・大手前駐車場(25台/有料)
問い合わせ彦根城管理事務所 TEL:0749-22-2742/FAX:0749-22-2905
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彦根城

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