滋賀県近江八幡市、豊臣秀次が築いた八幡山城本丸跡(八幡山山頂)にある日蓮宗の寺が瑞龍寺(村雲御所)。豊臣秀次の母(秀吉の姉)、瑞龍院日秀尼が高野山で自刃した秀次のために京・西陣に開山した豊臣秀次の菩提寺。京都の西陣から昭和36年に秀次ゆかりの地、八幡山(八幡城本丸跡)に移されたもの。
八幡山城本丸跡にある豊臣秀次の菩提寺
豊臣秀吉(羽柴秀吉)の姉・智(日秀尼)は、天正19年(1591年)、豊臣秀吉が嫡男・鶴松を亡くしたため、息子の秀次、秀勝、秀保を秀吉の養子にしていますが(秀勝は文禄の役に出征中、病没)、文禄2年(1593年)に大坂城で淀殿が秀頼を産むと、文禄4年(1595年)、秀保は不可解な死を遂げ、関白となっていた秀次にも突如として謀反の疑いが起こって、高野山に謹慎のうえ切腹させられています。
文禄5年(1596年)、後陽成天皇(ごようぜいてんのう)から嵯峨の村雲の寺地(現・二尊院の北側)と、瑞龍寺の寺号、さらに寺領1000石、菊紋、紫衣を下賜され、豊臣秀次の菩提寺を創建したのが始まり。
日蓮宗唯一の門跡寺院(皇室一門や公家が出家して住職を務める寺)で、勅願所となったため、村雲御所と称するようになったのです。
江戸時代に、嵯峨から西陣(現在の堀川今出川付近)に移転し、昭和36年、11世・九条日浄(くじょうにちじょう=子爵仙石政敬の長女で、公爵九条道実の養女)の代に、京都から秀次ゆかりの近江八幡に寺を移しています。
石垣を左右に控えた山門は八幡城の名残り。
京都から移された庭園は名庭として知られています。
参詣には山麓から八幡山ロープウェーの利用が便利。
文禄4年7月15日(1595年8月20日)に高野山で自刃した豊臣秀次。
毎年命日の7月15日には「近江八幡の開町の祖」豊臣秀次の遺徳を偲ぶ『顕彰法要』が執り行なわれています。
瑞龍寺(村雲御所) | |
名称 | 瑞龍寺(村雲御所)/ずいりゅうじ(むらくもごしょ) |
所在地 | 滋賀県近江八幡市宮内町19-9 |
関連HP | 瑞龍寺公式ホームページ |
電車・バスで | JR近江八幡駅から近江鉄道バス野ヶ崎行きで5分、小幡町資料館前下車、徒歩7分、さらにロープウェーで山上に |
ドライブで | 名神高速道路竜王IC、蒲生スマートICから約12km、八幡山ロープウェーを利用 |
駐車場 | 20台/無料 |
問い合わせ | 瑞龍寺 TEL:074-832-3323 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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