滋賀県米原市にある中世の山城の跡が鎌刃城(かまはじょう)。応仁の乱以前に土肥氏が築城した湖北最大級の山城で、京極氏と六角氏の攻防、織田信長と浅井長政の攻防の舞台にもなっています。国の史跡に指定されるほか、続日本100名城に選定されています。
京極氏と六角氏、織田信長と浅井長政、攻防の城
鎌刃城は、京極領と六角領の境に位置する尾根上の城。
標高384mで、山麓との比高は250mほどある天然の要害です。
湖北を視野に入れ、関ヶ原への幹線道路を抑えるという要衝で、京極家の家臣・今井一族の軍記『今井軍記』に文明4年(1472)の京極軍による鎌刃城攻めが記されているので、応仁の乱以前に築城されていたと推測できます。
天文7年(1538年)に六角氏側の手に落ち、永禄2年(1559年)、浅井氏配下の堀氏が入城。
元亀元年(1570年)、浅井長政が織田信長に反旗を翻した際には、13歳の城主・堀秀村(ほりひでむら)は織田信長に従い、湖北支配の拠点として機能しています。
天正2年(1574年)、突然、城主・堀秀村が織田信長により改易され、廃城に。
城域は、東西400m、南北500mに及び、湖北では浅井氏の居城・小谷城に次ぐ規模を誇っています。
山頂の主郭・副郭を中心に北西の尾根上に7ヶ所、南東の尾根上に2ヶ所、琵琶湖に臨む西の尾根上に8ヶ所の曲輪(くるわ)を設け、主郭を含む一部の曲輪は周囲を石灰岩(鈴鹿山脈の裾でカルスト地形です)の石積みで構築され、尾根の先端はすべて堀切で防備されるという堅固な造りです。
山麓の中山道側、町屋橋近くに登城口(駐車場)があり、名神高速道路をくぐり、主郭まで徒歩50分。
滝谷林道を青龍の滝近くの駐車場まで車で入ることもできますが、運転に慣れた人向けのワイルドな道です。
鎌刃城 | |
名称 | 鎌刃城/かまはじょう |
所在地 | 滋賀県米原市番場 |
関連HP | 長浜・米原を楽しむ観光情報サイト |
電車・バスで | JR米原駅から 湖国バスで6分、番場下車、徒歩45分 |
ドライブで | 北陸自動車道米原ICから約1.5km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 米原市生涯学習課 TEL:0749-53-5154 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag