土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)

土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)

滋賀県長浜市木之本町金居原、岐阜県揖斐川町へと抜ける国道303号の八草峠(はっそうとうげ)近くにある廃坑が、土倉鉱山跡。その形状から滋賀のラピュタとも呼ばれています。明治40年、土倉山に銅鉱脈が発見されたことで銅の採掘が始まり、昭和40年に閉山となった鉱山です。

令和4年には周囲に侵入防止用の柵を設置

土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)

明治37年〜明治38年の日露戦争を背景に、国内の金属鉱業は大きく発展。
土倉鉱山でも明治43年、田中鉱業が銅の採掘を開始、第一次世界大戦後の昭和9年に日窒鉱業が買収し、機械化、近代化を図っています。

現存する滋賀のラピュタと呼ばれる鉱山跡は、昭和12年、新たに坑道を開削したもので、戦後も電力、通信施設復興のための電線、伸銅品需要が増大、新たな選鉱場も拡充された昭和32年には月産200tという生産量を誇るまでに成長しています(国内全体の総生産量は、8万1499t)。
昭和38年に銅鉱石の貿易自由化で、海外鉱山との国際競争に巻き込まれ、国内鉱山は苦境に立たされますが、土倉鉱山も同様で、昭和40年には閉山に追い込まれています。

今では廃墟となった一帯ですが、銅鉱年産1万8000tを誇った最盛期には、従業員やその家族を含めると1500人が暮らし、学校、病院、マーケット、そして映画館まで築かれていました。

「滋賀のラピュタ」とSNSで話題になったこともあって、無断で私有地に立ち入る人も増加。
建物はいつ崩れてもおかしくない危険な状況でもあることから、地元住民らは事故防止の観点から令和4年に侵入防止用の柵を設置し、敷地への立入りが禁止となっています。

注/使用する画像は柵の設置以前にさつえいしたものです

土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)
土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)
名称 土倉鉱山跡(滋賀のラピュタ)/つちくらこうざんあと(しがのらぴゅた)
所在地 滋賀県長浜市木之本町金居原
ドライブで 北陸自動車道木之本ICから約17km
駐車場 あり/無料
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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