滋賀県大津市滋賀里1丁目、比叡山の麓、志賀の大仏(しがのおぼとけ)、崇福寺跡へと続く谷の入口にあるのが、百穴古墳群(ひゃっけつこふんぐん)。山中越の旧道沿いに位置する横穴式石室をもつ円墳からなる古墳群で、国の史跡。石室の構造から6世紀後半頃の築造と推測されています。
琵琶湖の西岸に渡来人が築いた終末期古墳
あまり知られていませんが、比叡山の東麓(琵琶湖の西岸)には、福王子古墳群、大通寺古墳群、百穴古墳群、穴太野添古墳群、袋古墳群など30ヶ所ほどの古墳群があり、総数で1000基を超えると推測される古墳が密集しています。
築造されたのは、律令制へと移行する直前の6世紀後半〜7世紀前半で、いわゆる終末期古墳。
現在確認されている古墳だけで、64基あり、横穴式石室の穴が特徴的なため、百穴古墳群と呼ばれています(埋没したりしたものを含めると、100基ほどあります)。
小豪族の家族墓とみられる群集墳で、石室の四壁を徐々に内側に傾けたドーム状の天井、副葬品の炊飯具型土器(ミニチュア炊飯具セット)などから、被葬者は朝鮮半島からの渡来人と推測されています。
天智2年8月(663年10月)の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい=百済復興を目指す日本・百済遺民の連合軍と唐・新羅連合軍との戦い)直後の3月19日(667年4月17日)、天智天皇は都を飛鳥から近江大津へと遷都していますが、唐・新羅連合軍の襲来を避けて内陸へということのほか、大津が渡来人の里として先進文化が花開いていたのだとも推測できます。
百穴古墳群奥の崇福寺跡は、天智天皇7年(668年)の建立された古代寺院の跡です。
百穴古墳群 | |
名称 | 百穴古墳群/ひゃっけつこふんぐん |
所在地 | 滋賀県大津市滋賀里1-24-26 |
関連HP | 大津市歴史博物館公式ホームページ |
電車・バスで | 京阪電車滋賀里駅から徒歩15分 |
ドライブで | 名神高速道路京都東ICから約7km |
問い合わせ | 大津市歴史博物館 TEL:077-521-2100 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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