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清水さんのルーツを探せ!

清水さんは大姓20位で、全国に52万人ほどの清水さんが暮らしています。国民に占める割合は
0.43%ほど。清い水の湧く所を意味する地形姓で、静岡市清水区(旧清水市)のように地名になった場所も多数。その清水を守る役割を担ったであろう清水さんのルーツはやはり清水郷を探すのがセオリーです。

清水さんなら、知っておきたい戦国大名・清水宗治のこと

清水宗治

アウトドア愛好者として知られる元「あのねのね」の清水国明(しみずくにあき)は、福井県大野郡和泉村(現大野市)出身。
モノマネが得意なタレントの清水ミチコ(旧姓・清水美智子)は、岐阜県高山市出身。
お笑いから実業家に転身した清水圭(しみずけい/本名は清水圭太)は、京都府宇治市。
ものまねタレントの清水アキラ(本名は清水章)は、長野県下高井郡山ノ内町出身。
西日本の多い傾向があるのかもしれませんが、はたして。

清水さんのなかで、ダントツに有名な、清水次郎長は、残念ながら本名は山本長五郎。
清水湊の出身なので、清水の次郎長。
さしずめ静岡市清水区となった現代なら「静岡の次郎長」となるのかもしれません。

まあしかし、次郎長が侠客の中の侠客と言うならば、同じ清水姓のなかに、居城は備中清水城(岡山県総社市井手)で、後に備中高松城主(岡山市北区)となった、清水宗治(しみずむねはる)を忘れてはいけません。
武士の中の武士、と称された、戦国時代の清水さんのヒーロー的存在です。

まずは公園として整備された備中高松城に出かけてみましょう。

天正10年(1582年)、織田信長の命による中国攻めで、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は三木城(現・兵庫県三木市)、鳥取城を落とし、その勢いで清水宗治の籠もる備中高松城(現・岡山県岡山市北区高松)へと進軍。
実はここが、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』(平成26年放送)でもハイライトの部分。

軍師・黒田孝高(官兵衛)の助言で羽柴秀吉は、城の周囲に堤を築いてぐるりと囲み、足守川の水を引き込むという、いわゆる「水攻め」を行なうのです(「日本三大水攻め」)。

この時、明智光秀(あけちみつひで)の謀反、有名な「本能寺の変」が起こり、秀吉は毛利方の外交官・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)を仲介役に、信長没の情報が伝わる前に和議を成立させています。
湖に浮かぶ孤島のようになってしまった高松城の城主・清水宗治は、船を城内から漕ぎ出すと船上で酒を飲み交わし、舞を謡った後に自刃。
城を守る兵の命と引き替えに自らの命を絶ったのです(数え年45歳という若さ)。

後に秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛。
ここで、黒田官兵衛は「天下取りの好機」と助言し、「中国大返し」で、秀吉軍は一気に明智光秀のもとへと駆け戻ったのです。

「武士の鑑」と讃えられた清水宗治は、備中国賀陽(かや)郡清水村(現在の岡山県総社市井手)の出身。
清水宗治を輩出した備中国の清水氏は、賀陽郡清水を発祥とする桓武平氏で、子孫は長州藩の重臣となっています(仙台藩士の清水氏もこの一族)。

岡山県総社市井手には清水という字名も残されており(清水公会堂周辺)、清水さんのルーツ&パワースポットのひとつといえるでしょう。

備中高松城跡

清水さんのルーツには、伊豆水軍のリーダーも!

下田城跡の下田公園では6月に『あじさい祭』が開催される

伊豆国・下田城城主(静岡県下田市)の清水氏は、後北条氏の家臣となった藤原氏清水氏の一族で(北条早雲の代から仕えた譜代家臣)、2代目の清水綱吉(しみずつなよし)も北条氏に仕え、重臣となった3代目・清水康英(しみずやすひで)は、伊豆国では最大の知行を得るほどにまで成長しています。

甲斐武田氏の武田水軍と駿河湾で幾度も海戦を繰り広げた伊豆水軍の猛者(もさ)。
『北条氏所領役帳』には、伊豆衆二十九人衆の筆頭と記され、北条氏康(ほうじょううじやす=甲相駿三国同盟を結んで関東を支配)の参謀的な存在だったと推測できます。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に、下田城は開城し、清水康英は、千手庵(現・三養院/静岡県賀茂郡河津町川津筏場)に隠栖(いんせい)。
この三養院は清水家の菩提寺で、清水康英と妻子の3人が身を寄せたので、三養院と改めたのだとか。

関東や静岡の清水さんなら、三養院は重要なパワースポットとして、一度は訪れる価値があるでしょう。
伊豆水軍の拠点となった下田城は、今は『あじさい祭』で知られる下田公園になっているので、観光的にはこちらもおすすめです。

清水康英が生まれたのは、加納矢崎城(静岡県賀茂郡南伊豆町加納)ですが、現在城跡は私有地で、見学ができません。

山形県にも清水さんの大切なルーツが

出羽国の清水氏は、清和源氏斯波氏(しばし)流最上氏の一族で、斯波兼頼(しばかねより)の曾孫の成沢満久が最上地方へ進出、その拠点として清水城(山形県最上郡大蔵村)を築いて居城とし、それ以降清水氏を名乗っています。

出羽国(現・山形県)で産する紅花(べにばな)は最上川を下り、北前船で京へと運ばれていますが、清水(現・大蔵村)は、その中継地としても重要な役割を担った場所です。

最上川を見下ろす高台に築かれた清水城の城跡には、土塁、空壕などが現存、中世の城郭構造が分かる貴重な史跡に。

清水氏7代の居城、清水城一帯の大字も清水で、当然、清水さんの重要なルーツのひとつです。
大蔵村には日本最大級のクロベの木(林野庁の「森の巨人たち百選」)なども茂る巨木の多い土地で、そうした巨木の森から清らかな水が湧き出すことで、清水という地名が生まれたのだと推測できます。
まさに清水さんらしい土地ということになります。

清水家は7代目の清水義親(しみずよしちか/最上氏の一族・清水義氏の養子)の時、関ヶ原の戦いで、上杉軍の追撃の総大将を務めています。
ところが清水義親は清水家の養子となる前に豊臣家の人質となり、豊臣家に近習として仕えていたため(豊臣秀頼と交流も)、徳川家康から豊臣家との関係を疑われてしまいます。
その結果、実兄の最上家親により追討され、居城の清水城を攻められて、嫡子・清水義継とともに自刃。
出羽の清水家はこのような悲しいフィナーレを迎えていますが、大切なルーツには間違いありません。

南アルプス前衛峰の櫛形山の山麓に清水さんのルーツが

甲斐国巨摩郡清水村(山梨県南アルプス市清水)発祥の武田氏流清水氏、下野国芳賀郡清水(栃木県真岡市清水)発祥の清原姓芳賀氏族、木曾義仲の子・清水冠者の裔(えい=子孫)という清水氏、志水を名乗った武蔵七党丹党の豪族である清水氏など、清水さんのルーツは多岐に渡っています。

山梨県南アルプス市の清水地区は、空海(弘法大師)伝説の残る歴史ある土地。
清水八幡宮(若宮神社)も弘法大師伝承の社で、推定樹齢650年という巨大な夫婦欅(けやき)が立っていましたが、近年、強風により根の部分を残し倒壊してしまいました。

西に南アルプス前衛峰の櫛形山(くしがたやま/標高2052m)があり、その山麓ということから、清い水の湧き出る地、まさに清水さんのルーツです。

長野市にも清水の湧く清水神社が

清水姓は、全国の清らかな水の湧き出したところに多く付けられた地名がルーツで、たとえば、長野市信更(しんこう)町田野口に鎮座する清水神社は、かつて清水が湧きだしたことから、水神である罔象女命(みつはのめのみこと=代表的な水神)を勧請し、清水神社と称したのが始まり。

「延喜式内清水神社」と刻まれた社号標が立ち、鳥居をくぐり階段を上り御神木の間を通ると、社殿のあるこんもりとした森が広がる境内に着きます。
大清水、小清水、御手洗清水など周辺は湧水群に。
まさに清水だらけの清水さんのルーツということに。

近くには圃場(ほじょう)整備の進み整然と広がる田野口の棚田があり、65haの規模を誇る種籾圃場(たねもみほじょう)。
コシヒカリを中心に数品種を栽培し、生産された種籾(水稲種子)は県内各地に出荷され、長野県の農業を支えています。

香川県高松市にも清水神社が

香川県高松市由良町の清水神社の境内には二口の水甕が埋納された甕塚があり、埋納された甕は雨乞いに使われた神具とのこと。

清水神社の雨乞いは一風変わったもので、日照りが続くと埋納された二口の甕を掘り出し、神社近くに残る上御盥跡(かみたらせき)で神水を汲み、甕を洗い清める行法が行なわれ、雨乞いが終わると、甕はまた地中に埋められ、次に備えるというもの。

清水神社の祭神は『日本書紀』に第12代景行天皇の皇子と記される神櫛皇子(かみくしのみこ)で、讃岐開拓の祖(ただし、『日本書紀』『古事記』とも事績の記載はありません)。

神社の西にある由良山は、太古に大地震が起こった際、この山だけは揺れなかったため「ゆらぬ山」と呼ばれ、それが由良という地名を生んだという伝承が。
まさに清水さんのパワースポットらしい話となっているのです。

清水さんは北関東から甲信越地方に多い

清水さんは、有名人だとなぜか西日本に多い結果となりましたが、統計的には北関東から甲信越地方に多く、山梨で3位(1.28%)と大健闘、群馬でも5位(1.09%)に食い込んでいます。
このほか、長野6位、富山8位がベストテンに入り。
いずれも、山岳地帯があり、山麓や扇状地に清水が湧くという地形を有する県で、清水さんが多いことにも納得がいきます。

同じ湧水関連の名前でも泉さんは300位以下なので、「いずみ」より、「しみず」さんの方が呼びやすかった(それが証拠に「きよみず」さんではありません)、あるいは清い水というのが縁起がよかったのかもしれません(泉さんも十分縁起が良い名前ですが)。

家紋は、九曜、丸に二つ引両、向う山桜、下り藤に水文字、鷹の羽、笹、八重桜、三つ柏、井桁、五七桐、丸に片喰(かたばみ)など。

取材・編集協力/札場靖人(家紋と姓名研究家)人口に関するデータは明治安田生命全国同姓調査による(2018年7月)推計値です

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掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

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