【昭和レトロな旅】世界初の電車寝台特急581系「月光」誕生!

非電化区間が多い時代には、寝台車(寝台特急、寝台急行)といえば、機関車が客車を引くのが一般的でした。ブルートレインに代表される寝台車ですが、昭和42年に世界で初となる電車寝台として誕生したのが581系電車(月光形電車)で、新大阪駅~博多駅に寝台特急「月光」としてデビューしました。

昼間は座席特急として昼も夜も運転できる便利な特急用車両

客車の場合は、冷房などに使用する電気を「電源車」と呼ばれる発電機搭載車両で賄う必要があり、当時の寝台特急は途中で編成を分割して別々の目的地に到達する列車が多数あり、編成ごとに電源車を用意するなど不便を強いられていました。

そんな不便を解消するため、一部の客車の床下にディーゼル発電機を搭載した14系客車を昭和46年に投入、扉も自動化が実現しましたが(それまでの20系などでは手動)、発電機を搭載した寝台車は騒音が大きく不評でした(国鉄もマルスでの発券の際、最後に発電機付きの車両を販売していました)。

昭和40年代にはまだまだ寝台特急の需要は多く、とくに東京から東北、関西から九州へはドル箱路線だったのです。
寝台特急「月光」は、昭和42年10月1日のダイヤ改正で登場した、当時話題の電車寝台特急。
海外にも例がなく、国鉄が独自に開発した世界初となる寝台電車です。

新設された寝台特急「月光」と昼行特急の「みどり」で使用されたように、昼間は広めの座席(4人掛ボックス)となる特急としても活用できたのです。
一等寝台(2段/当初は連結されていませんでした)、二等寝台(3段)のほか、6号車はサシ581(食堂車/4人掛テーブル席×10)で、山陽路の夜景を眺めながら夕食、晩酌と夜行列車の旅を楽しむことができました。

夜間は車両限界を最大限に利用し,車内両側の線路方向に二等寝台は3段の寝台を配置。
昼間は上段と中段を収納することによって下段がボックスシートに変身しました。
寝台列車のイメージを大きく変えるものでしたが、ボックスシートは「見知らぬ人と素顔で対面する」など、夜行寝台ならではの不評もありました。

第11回(1968年)鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞。

昭和47年3月15日、「ひかりは西へ」で山陽新幹線が岡山駅まで開業すると、岡山始発で存続しますが、昭和50年3月10日の山陽新幹線博多駅延伸開業(全通)で廃止となっています。

高度成長期を経て、昭和50年代後半から寝台特急需要の減少、 寝台列車の2段寝台客車化もあって581系には多くの余剰車が誕生。
魔改造されて、普通列車として北陸本線などに投入され、鉄道ファン、旅好きを喜ばせていました。

門司港レトロ地区(福岡県北九州市門司区)にある「九州鉄道記念館」の車両展示場に、昭和42年に日立製作所で製造された「クハネ 581 8号」が「月光」のヘッドマークを付けて静態保存されています。
昭和59年に小倉工場で普通電車に改造され交流電車715系(クハ7151=ローカル用交流電車)として生まれ変わり、おもに長崎、佐世保線で平成12年まで活躍、小倉工場で原状に復旧し保存されていた車両です。

昼は4人掛けボックス席に変身
【昭和レトロな旅】世界初の電車寝台特急581系「月光」誕生!
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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