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龍源寺間歩

龍源寺間歩

平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に指定された石見銀山(島根県大田市)。銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)と呼びますがが、石見銀山に掘られた900ほどの坑道のうち、予約なしで通年内部の見学ができるのはこの龍源寺間歩のみ。江戸時代初期に開かれ、閉山したのは昭和18年です。

ノミの痕が残る江戸時代開削の坑道を見学

江戸時代の初期、正徳5年(1715年)に開発された坑道で、5ヶ所(龍源寺間歩・永久間歩・大久保間歩・新切間歩・新横相間歩)あった代官所直営の坑道「御直山(おじきやま)五ヶ山」のひとつです。

国指定「石見銀山遺跡」の一部で、全長約600mの大坑道のうち273mが公開され、入口から157mまでの古い坑道の壁面には当時のノミの痕(あと)がそのままに残されています。
鉱脈に沿って掘り進んだ20余りの横穴や、排水のため垂直に100mも掘られた竪坑もあり、往時の鉱山労働を偲ぶことができます。

157mの地点から新たに設けられた観光用の坑道(栃畑谷新坑、全長116m)には『石見銀山絵巻』の電照板が展示されています。

石見銀山の間歩群では、龍源寺間歩(大谷間歩群)をはじめ、龍源寺間歩より坑道の長い大久保間歩(本谷間歩群)、さらに産出された銀が家康に献上された釜屋間歩(本谷間歩群)、新切間歩、福神山間歩、本間歩、新横相間歩の7つの間歩が国の史跡になっています。

なお、龍源寺間歩は、大谷間歩群として世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産になっています。

龍源寺間歩
名称 龍源寺間歩/りゅうげんじまぶ
所在地 島根県大田市大森町
関連HP 大田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR大田市駅から石見交通バス川本線(世界遺産センター行き・大森行き)で28分、大森下車、徒歩40分
ドライブで 山陰自動車道(仁摩温泉津道路)仁摩・石見銀山ICから約7.8kmで世界遺産センター
駐車場 交通規制のため世界遺産センター駐車場(石見銀山駐車場400台)を利用し、路線バスで大森バス停へ、バス停から徒歩40分
問い合わせ 大田市観光振興課 TEL:0854-82-1600/FAX:0854-82-9150
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

佐毘売山神社

石見銀山の守り神・金山彦命(かなやまひこのみこと)を祭神とする古社が巨岩の上に鎮座する佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産で、地元では、親しみを込めて「山神(さんじん)さん」と呼ばれています

いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)

戦国時代から江戸時代にかけて日本一の銀山として栄えた石見銀山(いわみぎんざん)。平成19年7月には世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に登録されましたが、銀山を治めた大森代官所跡に建つのが、いも代官ミュージアム(石見銀山資料館)です

大久保石見守墓

石見銀山にある慶長6年(1601年)に石見奉行となった大久保石見守(大久保長安)の墓。大久保長安は、慶長10年(1605年)、浄土宗・大安寺を建立していますが(水害で荒廃し極楽寺に併合)、その境内に生前に築いたのが逆修塚。創建時の宝篋印塔は

豊栄神社

石見銀山(島根県大田市)にある戦国武将・毛利元就(もうりもとなり)を祭神とする神社が豊栄神社(とよさかじんじゃ)で、同名の神社は山口県山口市にあり、祭神は同じ。幕末の慶応3年(1867年)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でしたが、明治の

高橋家

世界文化遺産に登録される石見銀山(島根県大田市)の龍源寺間歩近くにある旧家が高橋家(たかはしけ)。正式名は石見銀山御料銀山町年寄山組頭(としよりやまぐみがしら)遺宅高橋家。山組頭とは鉱山の取締役(谷ごとに任命された山師の代表)で、坑夫の人事

清水谷精錬所跡

戦国時代から江戸時代初期に最盛期を迎えた石見銀山の近代の精錬所跡が清水谷精錬所跡。明治19年に藤田伝三郎(藤田財閥)が起こした大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床(大久保間歩)の金銀含有率と量に着目し、20万円の巨費を投じて明治28

日本三大銀山とは!?

「黄金の国 ジパング」のイメージが強い日本ですが、実は江戸時代初期、日本の銀生産量は、年間150~190tで世界の銀の3分の1を占めるほどの「銀の国」。「銀の国」を支えた銀山が日本三大銀山と通称される延沢銀山(山形県)、生野銀山(いくのぎん

 

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