佐毘売山神社

佐毘売山神社

見銀山の守り神・金山彦命(かなやまひこのみこと)を祭神とする古社が巨岩の上に鎮座する佐毘売山神社(さひめやまじんじゃ)。世界遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」の構成資産で、地元では、親しみを込めて「山神(さんじん)さん」と呼ばれています。龍源寺間歩近くにあるので、間歩見学時にお立ち寄りを。

石見銀山の繁栄を見守ったゆかりの古社

佐毘売山神社

佐毘売山神社は、周防国の守護大名・大内持世(おおうちもちよ)が、足利義教(あしかがよしのり)の命により、比礼振山(ふれひりやま/美濃郡益田=現・益田市)の佐毘売山神社の分霊を勧請して永享6年(1434年)に建立したと伝えられ、石見銀山の本格的な開発の1世紀も前からこの地に鎮座。

大久保石見守(大久保長安)が家康の命により初代・銀山奉行となって以来、鉱山で働く人々に尊崇されてきました。
境内裏手を少し上ると、出土谷(だしつちだに)の製錬所跡。
神社北側の出土谷に、灰吹法(はいふきほう=銀鉱石に鉛を加えて溶かし、鉛を灰に染み込ませて銀を抽出する方法)を伝えたとされる鉱山技術者・慶寿(けいじゅ)が住んでいたことが判明しており、一帯はシルバーラッシュを現出させた灰吹法導入の地。

慶寿は、石見銀山を開発した博多の豪商・神谷寿禎(かみやじゅてい)が天文2年(1533年)に朝鮮半島から招いた技術者で、日明貿易(遣明船派遣)の特権を有した大内義興(おおうちよしおき)が石見銀山を取り戻し、灰吹法を導入しています。
神社の南側には李氏朝鮮など大陸からの渡って来た人々が移り住んだ唐人屋敷があったと伝えられています。

天文4年(1535年)の後奈良天皇の即位式は、大内義興の献上銀で行なうなど(大内義隆は見返りに大宰大弐への任官を申請しますが、拒否されています)、石見銀山は灰吹法の導入で「戦国バブル」ともいえる繁栄を迎えます。
豊臣秀吉の統一まで、石見銀山は尼子氏・小笠原氏との奪い合いが続きました。

佐毘売山神社は世界遺産に登録されていますが社殿の痛みも進んでいることから、「佐毘売山神社を守る会」が保護修復を行なっています。

なお、銀山奉行が鉱山の繁栄を祈願したのは、佐毘売山神社のほか、大森代官所の祈願寺だった観世音寺(真言宗)、戦国時代に銀山争奪戦の要となった山吹城内にあり、歴代石見代官の菩提寺だった龍昌寺(曹洞宗/廃寺)がありました。
寛永年間(1624年〜1645年)から銀生産が減少し、衰退に向かった中で、佐毘売山神社、観世音寺、龍昌寺では再度の隆盛を願って銀山大盛祈願が行なわれたのです。

名称 佐毘売山神社/さひめやまじんじゃ
所在地 島根県大田市大森町大森ホ393
関連HP 大田市観光協会公式ホームページ
電車・バスで JR大田市駅から石見交通バス川本線(世界遺産センター行き・大森行き)で28分、大森下車、徒歩40分
ドライブで 山陰自動車道(仁摩温泉津道路)仁摩・石見銀山ICから約7.8kmで世界遺産センター
駐車場 交通規制のため世界遺産センター駐車場(石見銀山駐車場400台/無料)を利用し、路線バスで大森バス停へ
問い合わせ 大田市観光協会 TEL:0854-88-9950
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
龍源寺間歩

龍源寺間歩

平成19年7月に世界文化遺産「石見銀山遺跡とその文化的景観」に指定された石見銀山(島根県大田市)。銀を掘るために掘った坑道を間歩(まぶ)と呼びますがが、石見銀山に掘られた900ほどの坑道のうち、予約なしで通年内部の見学ができるのはこの龍源寺

大久保石見守墓

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豊栄神社

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石見銀山(島根県大田市)にある戦国武将・毛利元就(もうりもとなり)を祭神とする神社が豊栄神社(とよさかじんじゃ)で、同名の神社は山口県山口市にあり、祭神は同じ。幕末の慶応3年(1867年)までは洞春山・長安寺という曹洞宗の寺でしたが、明治の

豊栄神社

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清水谷精錬所跡

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戦国時代から江戸時代初期に最盛期を迎えた石見銀山の近代の精錬所跡が清水谷精錬所跡。明治19年に藤田伝三郎(藤田財閥)が起こした大阪の藤田組が、仙山(せんのやま)の福石鉱床(大久保間歩)の金銀含有率と量に着目し、20万円の巨費を投じて明治28

 

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