農業限界地(緯度や標高の高い寒冷地)で栽培されるそば。美味しいそばは、霧が立ち込める「霧下」、火山灰土などが条件とされていますが、日本三大そばに選ばれるのは、わんこそば(岩手県)、戸隠そば(長野県)、出雲そば(島根県)です。その歴史と、特徴、そして味わえる名店を紹介。
わんこそば|岩手県盛岡市・花巻市
特徴:「ハイ、どっこい。じゃんじゃん」という掛け声とともに、お給仕さんによって手元の椀にひと口分ほどの蕎麦が投げ込まれ、客側が、断るまで食べ続けるのが「わんこそば」。
歴史:花巻がルーツとする説、盛岡だとする説があり定かでありません。
陸奥国盛岡藩初代藩主・南部利直(なんぶとしなお)が参勤交代途中、花巻に立ち寄った際、漆りの椀に一口だけのそばを盛り、出したところが好評で、何度もお代わりを。
明治時代にそれを「大畠家」がメニューに取り入れたというのが、花巻説。
ただし、そば、ひえなど植え付け、収穫後(冷涼な岩手県北では、そば、ひえなどの雑穀が主な農産物でした)、祭礼や婚礼などで大勢の人が集まる宴会に、接待料理として「そば振る舞い」というしきたりがあることから、自然発生した「おもてなし」料理と考えることもできます。
食べ終わるやいなや、お代わりを無理強いするのは、「おてばち」と呼ばれる、客人に対するもてなしの礼儀からなのです。
戸隠そば|長野県長野市
特徴:挽きぐるみ(玄そばの甘皮を取らずに挽くもの)で、「ぼっち盛り」と呼ばれる独特の盛り付けで出されます。
もともと戸隠高原で産する玄そばは、霧下そば、火山灰土で、珍重されました。その香り、風味を損なわないように、石臼で挽く昔ながらの店が多いのも特徴。
戸隠では、各家庭にそば打ち職人がいるというほどの、伝統料理になっています。
歴史:平安時代に、戸隠山で修験する山岳修験者たちの携行食として始まったと伝えられ、江戸時代に、戸隠山顕光寺(天台宗の寺、現在の戸隠神社)に本山である上野・寛永寺からそば切り(そば切り=戦国時代、または江戸時代初期に甲州か信州のいずれかで創案)が伝えられています。
遠来の賓客や、戸隠山顕光寺に参詣にやって来る戸隠講の講中をもてなす料理として定着。
今も、宿坊で出される定番の料理になっています。
出雲そば|島根県松江市・出雲市
特徴:玄そば(殻のついたそばの実)をそのまま挽き込む「挽きぐるみ」。多くの店では石臼で挽くため、香り、風味が熱で損なわれないのが特徴。冷たい「割子そば」は、そばつゆをそばにかけて味わうのが定番。温かい「釜揚げそば」(そばつゆをそばにかけて味わいます)は、門前で味わう伝統の味です。
歴史:もともと冷涼な奥出雲で、そばの産地に適していたこと、さらに、寛永15年(1638年)、松平直政(まつだいらなおまさ)が信濃国・松本藩から出雲国・松江藩に国替えとなった際、信濃からそば職人を連れてきたことでそば食が定着したと推測されています。
さらに、松平治郷(松平不昧)は、そば好きで知られ、茶懐石にそばを取り入れるなどして、そばの地位向上につながりました。
神在月(かみありづき)の『神在祭』では、新そばを「釜揚げ」で味わうことが伝統です。
日本三大そばとは!? | |
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