聖武天皇が741(天平13)年に出した国分寺建立の詔で全国に建立された国分僧寺のひとつ、肥前国分寺の跡。金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)が往時の正式名です。2町四方(1辺が約216m)のなかに金堂、その北側に講堂、南東方には塔を配置し、中門に取り付く回廊が建物を取り囲んでいました。
かつては七重塔がそびえ立っていた!?
塔跡からは全国の国分寺のうち最大規模の基壇が確認されており、この地に七重塔がそびえ立っていたと想像されています。
寺域の東側では瓦窯4基が発見され、そこで瓦が焼かれていました。
肥前国庁跡とともに場所と規模が特定された貴重な例ですが、住宅街のなかに説明板が立っているのみです。
国分尼寺(法華滅罪寺)はすぐ西側の春日小学校(佐賀市大和町尼寺1439)近くにあったと推定され、字名も尼寺(にいじ)になっています。
肥前国分寺跡 | |
名称 | 肥前国分寺跡/ひぜんこくぶんじあと |
所在地 | 佐賀県佐賀市大和町尼寺真島958 |
関連HP | 佐賀市観光協会公式ホーページ |
ドライブで | 長崎自動車道佐賀大和ICから約2km |
駐車場 | 春日丘公民館駐車場を利用 |
問い合わせ | 佐賀市教育委員会・社会教育部文化振興課 TEL:0952-40-7368 |
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