肥前国庁跡歴史公園

佐賀大和IC一帯の佐賀市大和町は、奈良・平安時代の肥前国の国府として栄えた地。肥前国庁跡歴史公園は、奈良〜平安時代の古代肥前国の政治の中心となった政庁の跡です。大型の礎石建物が発見され、国の史跡に。さらに一帯は歴史公園として整備され、公園内には門と築地塀の一部が復元されています。

古代、肥前国の政庁はここに建っていた!

肥前国庁の規模は、南北104.5m、東西77.2m。
往時には後殿、正殿、前殿、南門が南北一直線に並び、周囲を築地塀で囲んでいたと推測され10世紀末までには政庁として機能していました。

国庁が築かれたのは、出土した須恵器、土師器、瓦などから8世紀前半と推定されています。
陸路で大宰府と結ばれ、隣接する嘉瀬川の舟運が利用できるという場所で、一帯では縄文時代からの営みが確認されています。
また、佐賀県最大の前方後円墳の船塚古墳など、脊振山麓には古墳が多く築かれており、早くから拓けた一帯であることがわかります。

肥前国庁跡の発掘調査で出土した瓦などは園内の「肥前国庁跡資料館」に展示されているのであわせて見学を。

周辺には、惣座遺跡(正倉群と推定)、久池井B遺跡(国司の館と想定)、久池井六本杉遺跡(官衙関連の建物群)もあります。
ちなみに肥前国分寺跡は、佐賀市大和町尼寺958の宗龍寺一帯です。

肥前国分尼寺は、佐賀市大和町尼寺地区だと推定されていますが、案内板が立つのみ。
国庁近くにあっただろう肥前国の総社は定かでありません。

なお、肥前国一之宮は、佐賀市の與止日女神社(よどひめじんじゃ)、みやき町の千栗八幡宮(ちりくはちまんぐう)の2社あります。

 

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