日本一の落差を誇る称名滝(しょうみょうだき・しょうみょうのたき)。その称名の滝があるのが称名渓谷です。落差日本一の名瀑はどのようにして生み出されたのか? 一般に立山火山と呼ばれますが、室堂から眺める立山三山(富士ノ折立、大汝山、雄山)は火山ではありません。この称名滝の形成に大きく関わっているのは立山火山こと、弥陀ヶ原火山(みだがはらかざん)。
称名平園地から悪城の壁を見上げる
8kmにわたって切り立った壁が続く称名峡谷。立山火山の大噴火でできた溶岩台地が称名川の浸食によって深く削られて誕生したV字谷。
なかでも車道終点の称名平駐車場・称名平園地から見上げる南側の断崖は、「悪城の壁」(あくしろのかべ)と呼ばれ、たび重なる雪崩によってできた奇観です。
「悪王城」(あくおうじょう)や「千仞の櫓」(せんじんのやぐら)などとも呼ばれ、断崖絶壁の様子が難攻不落の城にたとえられた地名です。
称名平駐車場・称名平園地から悪城の壁を見上げながら称名遊歩道を30分ほど歩けば、滝見台園地。
称名滝は落差350mで、日本最大の滝。上部から70m、58m、96m、126mの4段になって称名渓谷に落下しています。
称名滝の上流は、150mほどに切れ込んだV字谷で称名廊下と呼ばれています。
称名滝は10万年ほど前には、現在よりも15km下流の富山市小見付近(富山地鉄有峰口駅近く)にかかっていたと推測されています。
10万年前に立山は活発な火山活動を行ない、大量の火山灰を噴出。火山灰が固まった溶結凝灰岩で埋められ現在の弥陀ヶ原の台地が誕生しました。
10万年前には溶岩台地は富山市小見まで達しており(現在は美女平)、台地を浸食する川は、現在の立山町千寿ヶ原で称名川と常願寺川に分流しました。常願寺川は水量が多く急速に浸食して深い谷を形づくり、称名川は水量が比較的少なかったため、滝になったと推測できます。
豊富な水が柔らかい溶結凝灰岩を1年間に10cmほど削りながら後退、現在の滝壺の位置に至っているのです。
削り残された場所が「悪城の壁」というわけなのです。
立山開山の頃には称名滝は今より130m下流に
立山を開いたのは、越中国司・佐伯(宿禰)有若の息子・佐伯有頼(さえきありより)。
立山開山伝説によれば、大宝元年(701年)、佐伯有頼は仏の化身の白鷹と熊を追って立山に分け入る際、滝音に励まされて険しい坂を登ったと伝えられています。
滝壺近くから台地の上へと登る八郎坂は、大正13年に、第九師団富山連隊(歩兵第35連隊)が開いた「新道」。古来の立山登拝道は、千寿ヶ原から草生坂・材木坂を登るもので、現在の立山ケーブル横を歩いたのです。耳を澄ませば材木坂あたりからもこの滝の轟音が聞こえたのでしょう。
この佐伯有頼が眺めた称名滝は現在の位置より130mも下流側にあったことになります。
称名滝という名前は浄土宗を開いた法然が、滝の音を「南無阿弥陀仏」と聞こえたことに由来(称名=南無阿弥陀仏を称えること)。
ただし、法然が立山に登拝したという記録はなく、立山信仰の中で自然とついた名だと推測できます。
称名滝が「観光地」として初めて注目したのは、日本山岳会員の大平晟。
明治39年に称名滝の滝壺まで遡行し、「瀑身(ばくしん)はあくまでも白、滝つぼはあくまでも碧(みどり)」と湛えたので、一躍有名になりました。
称名滝 | |
名称 | 称名滝/しょうみょうだき |
所在地 | 富山県中新川郡立山町芦峅寺桂台 |
関連HP | 立山町公式ホームページ |
電車・バスで | 富山地方鉄道立山駅前から立山開発鉄道バス称名滝行きで20分、終点下車 |
ドライブで | 北陸自動車道流杉スマートICから約30kmで称名平駐車場。駐車場から徒歩20分 |
駐車場 | 称名平駐車場(250台/無料) |
問い合わせ | 立山町観光協会 TEL:076-462-1001 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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