椿姫観音

引間城(曳馬城・引馬城=現在の浜松東照宮の地にあった中世の城)の女城主・お田鶴の方(亀姫君)は、三河を統一した松平家康(徳川家康)に攻め落とされますが、最後まで城を死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方(おたづのかた)と侍女18人の遺骸を葬り塚を築いたという。そんな悲話を今に伝えるのが浜松城下の椿姫観音です。

浜松のもう一人の女城主・お田鶴の方を祀る

今川家武将で引間城の飯尾連竜(いいおつらたつ=飯尾家第4代)は、三河を制した松平家康(徳川家康)に内通しますが、そのことから今川氏真(いまがわうじざね=今川義元の子)に駿府で殺害されます。
飯尾連竜亡き後に引間城の女城主となったのが妻のお田鶴の方(椿姫)。
1568(永禄11)年、松平家康は引間城を攻略し、お田鶴の方と侍女たちは討ち死に。

家康はお田鶴の方と侍女を手厚く葬りますが、家康の正室、築山御前も塚の周囲に百余株の椿を植え供養を営みました。
浜松城下の人々は塚を「椿姫塚」として供養を続けたという。

椿姫観音の堂は昭和19年に建立されましたが太平洋戦争で焼失。
現在の椿姫観音は、昭和27年に再建。

毎年11月23日に追善供養が行なわれています。
地元では、商売繁盛、長子誕生の観音様としても有名。

ただし、お田鶴の方は連竜ともども駿府で成敗され、その後は家臣が城を守備したとする伝承もあり、お田鶴の方の最後は定かでありません。

もう一人の女城主、お田鶴の方
女城主といえばNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公となった井伊直虎が有名ですが、実は直虎は男だった説もありますが、同じ浜松でも引間城主・お田鶴の方は、正真正銘の女性。
母は今川義元の妹。今川義元は伯父、北条氏康の正室である瑞渓院は伯母という関係。
家康の正室・築山殿は、駿河御前(するがごぜん)といわれるように今川義元の姪といわれています。
引間城(曳馬城)の城主だった夫の飯尾連龍は三河の家康との内通を今川氏真に疑われて殺害されてしまいます。
飯尾連龍亡き後、お田鶴の方が城を守りましたが、家康に攻められ、永禄11年(1568年)12月に落城。
家康は何回も使者を出し、開城を迫りますが、お田鶴の方はこれを拒否。
『徳川伝記』によれば、緋威の鎧を着て長髪が乱れたお田鶴の方は侍女17人と討ち死にしています(『武家事紀』には侍女18人)。
椿姫観音
名称 椿姫観音/つばきひめかんのん
所在地 静岡県浜松市中区元浜町
関連HP 浜松市公式ホームページ
電車・バスで JR浜松駅から徒歩18分。または、遠州鉄道鉄道線八幡駅から徒歩6分/td>
ドライブで 東名高速道路三方原スマートICから約5km
駐車場 浜松城公園駐車場(55台/1時間30分まで無料、以降有料)
問い合わせ 浜松市企画調整部広聴広報課 TEL:053-457-2021
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

元城町東照宮(引間城)

2017年12月20日

 

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