ヤマト王権に迫った国際的な危機とは!?
天智天皇2年(663年)、朝鮮半島の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で、唐・新羅連合軍に大敗した倭国(ヤマト王権)は、対馬、北九州、瀬戸内海に防御の拠点として数多くの山城(砦)を築いています。これが日本史上初となる…
天智天皇2年(663年)、朝鮮半島の白村江の戦い(はくすきのえのたたかい)で、唐・新羅連合軍に大敗した倭国(ヤマト王権)は、対馬、北九州、瀬戸内海に防御の拠点として数多くの山城(砦)を築いています。これが日本史上初となる…
古墳時代に畿内に誕生したヤマト王権(古代日本の豪族連合政権)は、まずは瀬戸内の舟運を掌握する豪族を翼下に収め、王権の完成する4世紀以降、しだいに東国へと勢力を伸ばします。古墳時代の東国の中心は現在の群馬県。その権力の象徴…
新潟県村上市と、山形県鶴岡市の境、朝日連峰から続く長大な羽越国境(新潟・山形県境)の海岸(鼠ヶ関)近くのピークが、日本国。日本広しといえども、日本国という地名は、ここだけ。なぜ日本国という名が生まれたのかといえば、古代、…
大阪府高槻市は、古墳時代初期から末期までの古墳がある日本でも有数の古墳群地帯。継体天皇の大王陵だと推測される今城塚古墳(いましろづかこふん)は、実は自由に立ち入ることのできる、日本唯一の大王墓(だいおうぼ)です。
ヤマト王権の大王墓(だいおうぼ)とされる、あるいはその可能性のある古墳は、奈良県と大阪府に22基。最大の大仙陵古墳は、宮内庁が仁徳天皇の陵に治定していますが、被葬者は今も謎。22基の大王墓を年代順に並べてみると、時代的な…
奈良県高市郡明日香村平田にある古墳が、平田梅山古墳。墳丘長140mという前方後円墳で、古墳時代後期の築造と推測されています。同時代の古墳としては巨大なため、ヤマト王権最終期の大王墓と推測され、宮内庁は檜隈坂合陵(ひのくま…
佐賀県佐賀市金立町にある国の史跡に指定される古墳が、銚子塚古墳。墳丘長は98mと惜しくも100mに届きませんが、佐賀平野では船塚古墳(114m)に次ぐ巨大古墳で、佐賀県内でも久里双水古墳(唐津市108.5m)に続く第3位…
ヤマト王権の象徴でもある畿内大王墓に多い前方後円墳。奈良県桜井市の箸墓古墳(はしはかこふん/3世紀後半築造)から始まった前方後円墳ですが、その北端は奥州市の角塚古墳、南端は鹿児島県大隅半島の塚崎51号墳(花牟礼古墳)で、…
古代にヤマト王権があったことから、古墳の多い奈良県には大王墓と目される古墳が多数あります。そのうち橿原市の丸山古墳(墳丘長318m/全国6位)、天理市の渋谷向山古墳(300m/全国8位)、桜井市の箸墓古墳(はしはかこふん…
大阪府大阪市中央区大手前4丁目、大阪城公園に隣接する大阪歴史博物館の一角、難波宮(なにわのみや)跡の北西にあるのが、法円坂遺跡(ほうえんざかいせき)。古墳時代の大倉庫群跡で国の史跡に指定。難波宮遺跡の下層からは難波宮以前…
栃木県足利市県町にある東武鉄道伊勢崎線の駅が、県駅(あがたえき)。昭和3年5月1日に開業した駅で、あがた駅南産業団地の造成が行なわれていますが、以前は田園風景にポツンとある駅でした。東武鉄道の難読駅名のひとつ。
奈良県北葛城郡河合町にある墳丘長215m(197mとも)という巨大な前方後円墳が、川合大塚山古墳。馬見古墳群(うまみこふんぐん)を構成する古墳の1基。前方後円墳、方墳、円墳など8基の古墳で構成される大塚山古墳群の中心で、…
奈良県桜井市高田にある墳丘長244m(全国15位、奈良県7位)という巨大な前方後円墳が、メスリ山古墳。出土した初期の円筒埴輪などから、鳥見山古墳群の古墳で、同じ古墳群の桜井茶臼山古墳とともに、初期のヤマト王権の王墓だと推…
ヤマト王権のあった畿内から遠く離れた九州。朝鮮半島と独自の交流ルートを有した九州の大首長は、巨大古墳を見る限りは日向灘、大隅半島など畿内との連絡が容易な太平洋沿岸に集中することが判明。注目はその歴史的変遷で、日向灘(現・…
奈良県天理市にある柳本古墳群のひとつで、柳本古墳群では最大の古墳が渋谷向山古墳(しぶたにむかいやまこふん)。実際の被葬者は定かでありませんが、宮内庁は「山邊道上陵」(やまのべのみちのえのみささぎ)として第12代・景行天皇…