宇和島城・天守
愛媛県宇和島市にある、藩政時代に宇和島藩の藩庁だったのが、宇和島城。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が天守を築いたのが始まりですが、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が大改修の際に、現在の天守を構築。江戸時代の天…
愛媛県宇和島市にある、藩政時代に宇和島藩の藩庁だったのが、宇和島城。築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が天守を築いたのが始まりですが、2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が大改修の際に、現在の天守を構築。江戸時代の天…
旭醤油醸造場は、愛媛県宇和島市吉田町にある老舗の醤油醸造所。創業明治15年という歴史を誇る宇和島の老舗。かつては日本全国にご当地醤油・味噌醸造所がありましたが、今では数少なくなってしまいました。そんな貴重な醸造所が生み出…
愛媛県宇和島市と南宇和郡愛南町との境にある運河が、船越運河(ふなこしうんが)。由良岬へと伸びる東西に長い由良半島の中央部を南北に縦断して開削された運河で、昭和41年に完成。かつては小型漁船を陸揚げして反対側の海岸に運んで…
愛媛県宇和島市三間町の田園地帯に建つ真言宗御室派の古刹、仏木寺(ぶつもくじ)。大同2年(807年)、空海が楠の大木で刻んだ大日如来を本尊として開基した古刹で、四国八十八ヶ所霊場第42番札所。7月丑(うし)の日(土用の丑の…
愛媛県宇和島市、三間平野を見下ろす小高い山の中腹に建つ、四国八十八ヶ所霊場第41番札所が、稲荷山護国院龍光寺。大同2年(807年)、この地を訪れた空海が稲荷大明神を安置したのが始まりと伝えられる古刹です。真言宗御室派の寺…
愛媛県宇和島市、「水源の森百選」に選定された四万十川の上流、滑床渓谷(滑床水源の森)・雪輪沢にかかる5層、全長300mという巨大な滑滝(なめたき)が、雪輪の滝(ゆきわのたき)。最下部だけでも落差80m、幅20mという巨大…
愛媛県北宇和郡松野町・宇和島市を流れる四万十川の支流、目黒川上流部の渓谷が、滑床渓谷(なめとこけいこく)。滑床水源の森は、四万十川の水質を保全する森で、「水源の森百選」に選定されています。渓谷のシンボルが日本の滝百選に選…
愛媛県宇和島市にある大名庭園が、国の名勝となる天赦園(てんしゃえん)。かつて海だったこの一帯を宇和島藩2代藩主・伊達宗利(だてむねとし)が浜御殿を建てるために造成、後に7代藩主・伊達宗紀(だてむねただ)によって大改造が行…
愛媛県宇和島市、「耕して天に至る」という遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)の入口、魚泊の高台(標高51m)に位置する絶景ポイントが、魚見の丘。水荷浦湾を見渡す丘の頂には遊子漁協が昭和62年に建立した「魚貝藻霊供…
2024年7月23日(火)12:00~14:00頃、愛媛県宇和島市の宇和島市営闘牛場で『宇和島定期闘牛大会 和霊大祭場所』が開催されます。1t級の牛が体当たりする攻防戦は大迫力。令和3年度から定期闘牛大会は年4回の開催な…
毎年7月22日~7月24日、愛媛県宇和島市で『和霊大祭・うわじま牛鬼まつり』(和霊神社例祭)が行なわれます。歴史ある南予最大の祭りで、ガイヤカーニバルを皮切りに始まり、何体もの牛鬼が市内を練り歩く牛鬼パレード、伝統の宇和…
1月2日12:00~14:00頃(開場10:00)、宇和島市の宇和島市営闘牛場で『宇和島定期闘牛大会・正月場所』が開催されます。「逃げたら負け」がルールで、1t級の牛が体当たりする攻防戦は大迫力です。宇和島の定期闘牛大会…
愛媛県宇和島市の宇和海沿岸はリアス式海岸で、いたるところに深く切れ込んだ入江があり農地が少ないのが特長。40度という急斜面に石垣を築き幅約1mほどの畑を鍬で開拓したという遊子水荷浦の段畑(ゆすみずがうらのだんばた)は、「…
安政2年(1855年)、宇和島藩が外国船監視、宇和島湾防備を目的に海を埋め立てて築いた台場の跡が樺崎砲台跡。宇和島藩では高野長英の設計の御荘久良砲台(みしょうひさよしほうだい)に次ぐ台場建設で、青銅製大砲5門が設置されま…
愛媛県宇和島市にある和霊神社(われいじんじゃ)は、宇和10万石の領主となった初代・伊達秀宗(だてひでむね)が家老に抜擢した、山家清兵衛(やんべせいべえ=山家公頼)が祭神の神社。承応2年(1653年)、伊達秀宗が創建したも…
愛媛県宇和島市にある擬洋風建築の博物館が宇和島市立歴史資料館。明治17年に宇和島広小路に「宇和島警察署」として建てられたもの。昭和28年には南宇和郡西海町に移築され、西海町役場となりました。庁舎新築を機に、平成4年に宇和…
愛媛県宇和島市、宇和島市街を見下ろす天満山の丸山運動公園にある宇和島市営闘牛場。鎌倉時代から農民の娯楽や強い牛を作ることから自然に始まったとされる宇和島の闘牛(地元では闘牛のことを「突きあい」と称しています)。その闘牛を…
「日本100名城」に選定される宇和島城に現存する藩政時代の遺構は、天守と上り立ち門のみ。上り立ち門は、現在、国道56号に面した城山南側の登城口となっていますが、藩政時代には搦手筋(からめてすじ=裏門側)に位置し、門の前に…