東京都下で唯一、平成の名水百選選定の湧水は、東久留米市に!
昭和60年に環境庁(現・環境省)が選定したのが名水百選(昭和の名水百選)。東京都内からは青梅市の御岳渓流、国分寺市のお鷹の道・真姿の池湧水群が選ばれています。時は移り、平成20年の平成の名水百選では、都内ではただ1ヶ所、…
昭和60年に環境庁(現・環境省)が選定したのが名水百選(昭和の名水百選)。東京都内からは青梅市の御岳渓流、国分寺市のお鷹の道・真姿の池湧水群が選ばれています。時は移り、平成20年の平成の名水百選では、都内ではただ1ヶ所、…
熊本県熊本市西区河内町船津、河内中学校の裏手、推定樹齢600年以上というイチョウの大木の根本から湧出する水が、鑪水(たたらみず)。金峰山湧水群として環境省の平成の名水百選にも選定されています。付近には鑪(たたら)姓の家が…
名水百選(昭和60年選定)、平成の名水百選(平成20年)を選定している環境省(昭和60年当時は環境庁)ですが、これは飲用の適否は考慮されていない百選。「名水百選」選抜総選挙美味しさ部門として平成27年3月(「名水百選」選…
石川県七尾市中島町、国の重要文化財に指定された座主家(ざすけ)の当主・座主正盛さんは、重度の神経痛から解き放たれたという霊泉が、藤瀬霊水。座主家住宅の裏山に湧く泉で、藤瀬霊水公園として整備されています。藤瀬の水として、環…
埼玉県新座市を流れる荒川水系黒目川の支流が妙音沢。急斜面の雑木林から大沢、小沢の2本の清冽な清水が湧き出し、環境省の「平成の名水百選」に選定されています。一帯の3.3haは、妙音沢特別緑地保全地区に指定され、木道が整備さ…
東京都東久留米市南沢3丁目にある武蔵野台地谷頭部からの湧水が、南沢湧水群。「落合川と南沢湧水群」として、東京都で唯一、環境省の「平成の名水百選」に選定される湧水です。落合川支流・沢頭流の源流部、東京都水道局南沢給水所一帯…
青森県深浦町、白神山地の西麓、ブナの森に包まれた33の湖沼が十二湖。落口の池の南に眠る小さな池が沸壺の池(わきつぼのいけ)、十二湖では青池とともに青く見える池のひとつで、ブナの森が育む池の水は、沸壺池の清水(わきつぼいけ…
愛知県岡崎市鳥川町(とりかわちょう)を流れる鳥川は環境省の平成の名水百選にも選定の清流。鳥川ホタルの里は、ゲンジホタルの観賞スポットでピークには1000匹を超えるホタルが飛び交います。平成22年3月閉校の旧鳥川小学校の校…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある湧水源が竹崎水源。毎分120t、1日17万2000トンという南阿蘇村湧水群の中でも群を抜いた湧水量を誇り、農業用水の水源ともなっている湧水で、その名の通り、周囲には竹林があります。その割には知ら…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある湧水源が小池水源。湧水量は毎分13tという豊富さで、南阿蘇村湧水群の中でもとくに巨大な湧水池となっています。もともとは灌漑用水の溜池として使われていましたが、現在では園地化されています。地元の子…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある湧水源が吉田城御献上汲場水源(よしだじょうごけんじょうくみばすいげん)。阿蘇家の重臣・吉田主水頭(よしだもんどのかみ)の居城だった吉田城の水源で、阿蘇ユネスコジオパークの南阿蘇湧泉群ジオサイトの…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村にある湧水が川地後水源(かわちごすいげん)。湧水池北側の崖線に湧水源があり、今も生活用水として活用され、農産物を洗ったりする姿を見かけることも。池のように見えるのは、実は洗い場で、水の冷たさを活かして…
熊本県阿蘇郡南阿蘇村白水地区のほぼ中央に位置する湧水池・明神池水源を中心とした公園が明神池名水公園。天正時代、子供がなかった地元吉田城の城主が池の水で身を清め、群塚神社境内にある誕生石に願掛けしたところ子宝に恵まれたとい…
茨城県日立市水木町の泉神社とその神域の総称が泉が森。和銅6年(713年)編纂の地誌『常陸国風土記』に「蜜筑里(みつきのさと)の大井」と記された泉と、泉神社が生い茂る常緑樹のなかにあり、神秘的な雰囲気を醸し出しています。1…
熊本県熊本市の中央部から南東5kmにあり、加勢川の一部が湖となった河川膨張湖が江津湖。上江津湖と下江津湖がつながったひょうたん型で、湖の周囲は6km。熊本市民のオアシスでもある江津湖は、慶長年間に加藤清正が洪水防止のため…
盛岡市大慈寺町にある共同井戸が青龍水(せいりゅうすい)。北上川の伏流水が流れる南の寺町(寺ノ下寺院群地区)・鉈屋町。原敬の墓所である大慈寺と祇陀寺(ぎだじ)の境内からは清水が湧き、木管で共同井戸の水源としています。祇陀寺…
岩手県盛岡市鉈屋町にある大慈寺を水源とする生活用水が大慈清水(だいじしみず)。京から豪商・鉈屋長清が盛岡にやってきて、釶屋山菩提院(やおくざんぼだいいん)という寺を建てたのが町名の起りの鉈屋町。鉈屋町は、城下町の風情を色…
若狭街道の要所として、天正17年(1589年)に若狭の領主となった浅野長政により造られた熊川宿。若狭街道は、18世紀の後半には、小浜から京都へ鯖を運んだことから鯖街道とも呼ばれていましたが熊川宿はその中継地として栄えまし…