炭団坂
東京都文京区本郷4丁目、樋口一葉菊坂旧居跡のある菊坂から坪内逍遥旧居・常盤会跡へと上る石段の坂が、炭団坂(たどんざか)。本郷台地の高台へと上る坂で、全長は35mほどですが急な石段が続き、途中には3ヶ所の平坦なテラスが設け…
東京都文京区本郷4丁目、樋口一葉菊坂旧居跡のある菊坂から坪内逍遥旧居・常盤会跡へと上る石段の坂が、炭団坂(たどんざか)。本郷台地の高台へと上る坂で、全長は35mほどですが急な石段が続き、途中には3ヶ所の平坦なテラスが設け…
山形県東根市関山を流れる最上川の支流、乱川(みだれがわ)に懸かる落差10m、幅15mの豪快な滝が関山大滝(せきやまおおたき)。仙台市と山形市を結ぶ国道48号が乱川沿って走るので、アプローチも簡単。駐車場(トイレ)があるほ…
俳人、歌人の正岡子規(まさおかしき)は、慶応3年9月17日(1867年10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)で、松山藩士(御馬廻加番)の正岡常尚と八重の間に誕生。幼名は処之助で、4〜5歳の頃、「升…
松山が生んだ近代俳句の祖、正岡子規。子規堂は子規が17歳で上京するまで住んでいた湊町4丁目の旧宅を子規の菩提寺・正宗寺(しょうじゅうじ/愛媛県松山市末広町)境内に間取りを模して復元したもの。堂内には子規の子供時代の勉強部…
愛媛県松山市道後公園にある正岡子規を顕彰するミュージアムが松山市立子規記念博物館。司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』で秋山兄弟として主人公のひとりとして描かれる正岡子規。道後公園の一角にあり、松山が生んだ正岡子規を通して松山…
愛媛県松山市市坪西町、松山中央公園野球場(坊っちゃんスタジアム)内にある野球資料館が松山市野球歴史資料館の・ボールミュージアム。その名は正岡子規の雅号「の・ぼうる」(野球)に由来しています。子規の本名は升(のぼる)で、こ…
愛媛県松山市三津にある、明治時代、松山、そして四国の玄関港として栄えた三津浜港にあるのが三津きせんのりば碑・子規句碑。当時の三津浜港は水深が浅かったため、沖に停泊する汽船まで艀(はしけ)で行き来しましたが、その艀が発着し…
愛媛県松山市にある明治の俳人・歌人、正岡子規の生い立ち時代の家跡が正岡子規旧邸跡。正岡子規は慶応3年9月17日(1867年10月14日)、伊予国温泉郡藤原新町(現・愛媛県松山市花園町)に生まれ、2歳の時に中ノ川通りに移り…
愛媛県松山市、松山城を中心に松山全体をフィールドミュージアムとする司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』を軸とした構想の中核を担う博物館が坂の上の雲ミュージアム。秋山好古(あきやまよしふる)・秋山眞之(あきやまさねゆき)兄弟、俳…
「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」は、生涯に20万を超える句を詠んだ正岡子規の作品のうちで、もっとも有名なもの。『海南新聞』明治28年11月8日号に掲載された句で、「法隆寺の茶店に憩ひて」という前書きがあります。つまり、ある…
法隆寺でもっとも巨大な建築物である西院伽藍・大講堂の前方東脇に、経蔵と相対して建つのが鐘楼。奈良時代創建の鐘楼は925(延長3)年に落雷により講堂とともに焼失。現存する鐘楼は10世紀末頃に再建されたもので国宝。再建時に、…
松山市浄瑠璃町にある真言宗豊山派の古刹が浄瑠璃寺(四国八十八ヶ所霊場第46番札所)。四国八十八ヶ所霊場の寺が松山市内には8ヶ寺ありますが、その打ち始めの寺が浄瑠璃寺です。708(和銅元)年、行基が薬師如来を祀ったのが始ま…