竜ヶ岩洞
浜松市北区引佐町(いなさちょう)の竜ヶ岩山(りゅうがしやま)南麓にある、東海地方最大級の鍾乳洞が竜ヶ岩洞。鍾乳洞の石灰岩は、2億5000万年前の秩父古生層。全長1046mのうち、現在公開されるのは400mほど。洞内の気温…
浜松市北区引佐町(いなさちょう)の竜ヶ岩山(りゅうがしやま)南麓にある、東海地方最大級の鍾乳洞が竜ヶ岩洞。鍾乳洞の石灰岩は、2億5000万年前の秩父古生層。全長1046mのうち、現在公開されるのは400mほど。洞内の気温…
寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれた奥浜名の古刹が龍潭寺(りょうたんじ)。井伊氏初代当主・井伊共保(いいともやす)は、寛治7年(1093年)に没すると八幡山地蔵寺(現・龍潭寺)に葬られ、以降豪族・井伊氏…
上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、徳川家康は三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰ります。城内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松に掛けたことから鎧掛け松と呼ばれています。
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
1570(元亀元)年、武田信玄の西侵に備えるため、徳川家康は本拠地を三河国岡崎城(現・愛知県岡崎市)から遠江国浜松荘へ移します。さらに当時の地名、曳馬という名が「馬を引く」(敗北)に通じることから浜松荘(荘園の名)に因ん…
天竜浜名湖鉄道天竜浜名湖線は、昭和15年全通の国鉄二俣線が前身。天竜二俣駅(静岡県浜松市)は二俣線全通時の昭和15年開業の駅です。その天竜二俣駅には、可動する転車台、扇形車庫が現存!全国的に見ても貴重な鉄道遺産に。そして…
黄檗宗(おうばくしゅう)が京・万福寺(まんぷくじ)に伝えられて、国内で最初に創建された末寺が浜松市にある初山宝林寺。仏殿背後にある「龍文堂」は、願掛けの「鎮守龍文坊大権現」を祀るお堂。龍文堂でお参りをしてから金鳴石をたた…
「徳川家康が17年間在城した浜松城は、江戸幕府300年の原点となった出世城なんです!」と、強調するのは浜松市の観光関係者。 しかも浜松市のキャラクター「出世大名家康くん」は、浜松市で開催の『ゆるキャラグランプリ2015』…
2024年12月15日(日)、静岡県浜松市の秋葉山舘山寺で『火祭り』。舘山寺温泉に鎮座する秋葉山舘山寺は、温泉の名の由来になった曹洞宗の寺。福一万願虚空蔵菩薩(ふくいちまんがんこくうぞうぼさつ)が本尊で、鎮守である秋葉三…
浜名湖の湖畔、弁天島海浜公園に隣接する海水浴場。今切口で外洋(遠州灘)につながっている浜名湖の湖口に位置する弁天島海水浴場は波が穏やかで水質も良好。ファミリーにも人気のビーチになっています。ヤシの木陰が南国のリゾート感を…
かつて静岡県引佐郡にあった引佐町(いなさちょう)。浜名湖の北岸、通称、奥浜名に位置し、緑豊かな土地柄です。臨済宗方広寺派の大本山、方広寺。東海地方最大規模の洞窟、竜ヶ岩洞(りゅうがしどう)。棚田百選登録の久留女木(くるめ…