渋沢栄一生家「中の家」、本屋の公開始まる!
埼玉県深谷市の血洗島(ちあらいじま)にあるのが渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)。近代日本経済の父・渋沢栄一氏の生家で、現存する主屋は、渋沢栄一の妹婿・渋沢市郎が明治28年に上棟した養蚕農家。耐震改修、往時への復元が終わ…
埼玉県深谷市の血洗島(ちあらいじま)にあるのが渋沢栄一生家「中の家」(なかんち)。近代日本経済の父・渋沢栄一氏の生家で、現存する主屋は、渋沢栄一の妹婿・渋沢市郎が明治28年に上棟した養蚕農家。耐震改修、往時への復元が終わ…
埼玉県深谷市、秩父鉄道・ふかや花園駅近く、ふかや花園プレミアム・アウトレットの西側にあるのが、花園芍薬園(はなぞのしゃくやくえん)。例年5月上旬〜5月下旬に開園するシャクヤクの花園(有料施設)で(年により開園期間は変化し…
若き日の渋沢栄一に大いに影響を与えた尾高惇忠(おだかあつただ)は、渋沢栄一の従兄弟(いとこ)で、義理の兄。富岡製糸場の初代場長をも務めています。深谷市には生家が現存し、尾高惇忠、渋沢栄一らが高崎城乗っ取り計画を謀議したと…
埼玉県大里郡寄居町と深谷市の境に位置し、南は荒川に臨む標高329.8mの山が鐘撞堂山。東の山腹、深谷市側には霧ヶ谷津池を中心に鐘撞堂山ふるさとの森が広がっています。また西麓には円良田湖があり、登山の起点にもなっています。…
埼玉県深谷市、鐘撞堂山(かねつきどうやま/329.8m)の東面に広がる鐘撞堂山ふるさとの森にある農業用の溜池が、霧ヶ谷津池(きりがやついけ)。池面の標高は162mで、古峯神社を経て鐘撞堂山に至る西コース登山道も整備されて…
埼玉県深谷市、深谷城址公園の東側に隣接して建つ冨士浅間神社の入口に立つのが、『みかんの花咲く丘』歌碑。昭和21年、終戦直後に生まれた童謡『みかんの花咲く丘』は、当時の深谷町本住町の実家に加藤省吾が疎開していたときに作詞と…
埼玉県深谷市、深谷城址公園の東側に隣接して建つのが、冨士浅間神社(ふじせんげんじんじゃ)。深谷城を築城した深谷上杉氏が城の鎮守として智形大明神(ちかただいにょうじん)を祀った社が始まり。社前にある小さな堀は、藩政時代の深…
埼玉県深谷市にある平城の跡が、深谷城。城跡一帯は深谷城址公園として整備されています。康正2年(1456年)、深谷上杉氏の上杉房憲(うえすぎのりふさ)が古河公方の侵攻に備えて築城。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原…
埼玉県深谷市下手計(しもてばか)にあるのが尾高惇忠生家(おだかあつただせいか)。渋沢栄一の従兄(いとこ)で学問の師でもあるのが尾高惇忠。武蔵国榛沢郡下手計村(現・深谷市下手計)に名主の尾高勝五郎保孝の子として生まれ、大蔵…
埼玉県深谷市にある大正15年、佐々木勇之助(ささきゆうのすけ=大正5年、渋沢栄一の後任として第一銀行第2代頭取に就任)の古希を記念して建設された洋風建築が清風亭。渋沢栄一の古希記念で建てられた誠之堂とともに、平成11年に…
埼玉県深谷市にある令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一を顕彰するミュージアムが渋沢栄一記念館。近代日本を支えた明治時代の大実業家、渋沢栄一は、天保11年(1840年)、当時は養蚕の盛んだった武蔵国榛…
埼玉県深谷市にある武蔵国榛沢郡血洗島村(現・深谷市血洗島)出身で令和3年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一が設立した第一国立銀行ゆかりの建物が誠之堂。第一銀行(旧第一勧業銀行)の清和園(東京・世田谷)に建…
埼玉県熊谷市などを流れる農業用水路、備前渠用水路(びぜんきょようすいろ)は、徳川幕府の命で開削した埼玉県最古の用水路。慶長9年(1604年)、関東郡代・伊奈忠次(いなただつぐ)が開削したもの。農林水産省の疏水百選、国際か…
渋沢栄一が明治21年に故郷に近い、埼玉県榛沢郡上敷免村(現・埼玉県深谷市)に創業した日本煉瓦製造会社。東京に近い現・深谷市はレンガ焼成の土が容易に手に入り、輸送に便利という利点があったのです。明治39年、蒸気機関から電動…
埼玉県深谷市は、日本の近代化を、レンガ生産で支えた「レンガのまち深谷」。渋沢栄一が設立し、明治21年に創業を開始した旧日本煉瓦製造株式会社の敷地内にある明治20年築の洋館が、日本煉瓦製造会社旧事務所。国の重要文化財に指定…
渋沢栄一らが明治21年に埼玉県榛沢郡上敷免村(現・深谷市上敷免)に創業した日本煉瓦製造会社。生産されたレンガの大量輸送を可能にしたのが、明治28年に日本鉄道・深谷駅から敷設した4.2kmに及ぶ専用の引込線。途中、備前渠鉄…
現在の埼玉県深谷市にあった旧日本煉瓦製造会社(明治21年創業)で大量に生産されたレンガは、日本の近代化に多大な貢献を果たしていますが、大量輸送を可能にしたのが、深谷駅から敷設された専用の引込線。廃線跡は、遊歩道「あかね通…
明治21年の操業開始以来、約120年にわたり「レンガのまち深谷」(埼玉県深谷市)の象徴的存在だった日本煉瓦製造株式会社。当時日本が近代化するにあたり、渋沢栄一らによって設立されたレンガ会社で、レンガを焼成したホフマン輪窯…