首途八幡宮
京都府京都市上京区にある旅行安全の神社として知られるのが、首途八幡宮(かどではちまんぐう)。宇佐神宮から八幡大神(八幡大菩薩)を勧請して創建した内野八幡宮が始まりといい、源義経が奥州平泉に赴く際に、道中の安全を祈願して以…
京都府京都市上京区にある旅行安全の神社として知られるのが、首途八幡宮(かどではちまんぐう)。宇佐神宮から八幡大神(八幡大菩薩)を勧請して創建した内野八幡宮が始まりといい、源義経が奥州平泉に赴く際に、道中の安全を祈願して以…
奈良県吉野郡吉野町、吉野山・奥千本の金峯神社近くにあるのが、義経隠れ塔。吉野山の伝承などでは、源義経と静御前が、追討の追っ手から身を隠したのが吉水院(現在の吉水神社)。大峯山は当時女人禁制だったため、この地で義経と静は別…
埼玉県川口市本町1丁目、荒川のスーパー堤防近くの住宅地の一画に設けられた鎌倉橋記念緑地に立つ昭和35年建立の石碑が、鎌倉橋の碑。鎌倉街道(奥州街道)の中道(なかつみち)は、この場所で入間川(現在の荒川)を渡り、船戸原(現…
宮城県石巻市、「袖の渡り」(そでのわたり)ゆかりの公園が住吉公園。「袖の渡り」は、旧北上川にあった金華山道の渡し場。源頼朝に追われた源義経が船賃の代わりに片袖をちぎって船頭に与えたという伝説が残る、かつての船着き場跡を整…
京都府京都市左京区の北東部、鞍馬山(標高584m)の山上に建つ鞍馬弘教総本山が鞍馬寺(くらまでら)。寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)によれば、宝亀元年(770年)に渡来僧・鑑真(がんじん)の弟子、鑑禎(が…
京都府京都市左京区の鞍馬山山中にある鞍馬寺。鞍馬寺・本殿金堂から奥の院魔王殿を目指して歩き、木の根道を歩き、大杉権現社を越え、奥深い鞍馬山山中に入り込んだ場所にあるのが僧正ガ谷で、不動堂、義経堂という2つの堂が建っていま…
石川県小松市、梯川河口の港町・安宅にあったという中世の関所跡が安宅の関(あたかのせき)。能『安宅』、歌舞伎『勧進帳』で、山伏に変装し、奥州・平泉へと落ち延びる源義経と弁慶の一行が、関守・富樫左衛門尉に見とがめられたという…
徳島県小松島市にある源平合戦ゆかりの史跡が旗山(はたやま)。屋島の戦いの直前、元暦2年2月18日(1185年3月18日)、源義経(みなもとのよしつね)率いる源氏の軍勢が阿波勝浦(現在の小松島)の尼子ヶ浦に上陸して、平家が…
奥州平泉(岩手県平泉町)、中尊寺の東南にある丘陵地・高館(たかだち)は、兄・源頼朝に追われ奥州へと逃げた源義経が居館としていた場所で、文治5年4月30日(1189年6月15日)、藤原泰衡(ふじわらのやすひら)の急襲を受け…
源義経は、文治5年閏4月30日(1189年6月15日) 、奥州・平泉の衣川館(現・高館義経堂の地)で自刃。ということで岩手県平泉町で5月1日〜5日に開催されるのが恒例の『春の藤原まつり』です。清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代…
昼神温泉に近い智里昼神神社下の旧東山道沿い咲く巨桜。推定樹齢800年(500年とも)のエドヒガンの古木で、源義経が奥州に下る時、馬をつないだという伝説も残されています。例年花の見頃は4月中旬〜4月下旬頃(遅い年だと5月上…
四国霊場第84番の札所が屋島寺(やしまじ)。天平勝宝6年(754年)、鑑真和上(がんじんわじょう)が朝廷に招かれ奈良に向かう途中(2月4日に平城京に到着)、屋島北嶺に創建し、後に空海が南嶺に移したと伝えられている古刹。鎌…
日本海に臨む標高482mの角田山から派生する尾根の末端、角田岬に建つ白亜の灯台が角田岬灯台。灯高は12.57m。海面から塔火部分までは49.69mもあります。角田浜駐車場から人道トンネルを抜け崖伝いに階段を登ると灯台に到…
源義経が奥州・平泉に落ち延びる際に、駒を止めて鑑賞したと伝わる滝が新潟県村上市にある鈴ヶ滝。三面川の支流、高根川上流の鈴谷本流にかかる落差55m、幅10mの豪快な滝は「日本の滝百選」にも選定。周囲はブナの森で、滝までの4…
最上川の本流に落ちる白糸の滝は、『奥の細道』途中の芭蕉も舟下りの舟の中から眺めた景勝地。「五月雨を集めて早し最上川」は、芭蕉が舟下りで詠んだ名句で、『奥の細道』には、「白糸の滝は青葉の隙々(ひまひま)に落ちて、仙人堂、岸…
史実では奥州藤原氏の居館・衣川館(ころもがわのたち/岩手県平泉町)で最期を遂げた源義経ですが、津軽海峡を渡り蝦夷地(北海道)へ落ち延びたという『義経北行伝説』が北東北から道南にかけて残されています。龍飛崎付近の青森県三厩…
文治5年閏四月晦日(旧暦4月30日/西暦1189年6月15日)に平泉の「衣河館」で自害したとされる源義経ですが、実は、自害は見せかけで、弁慶などとともに北海道に渡った・・・。これが有名な『義経北行伝説』。31歳で生涯を閉…