鎌倉橋の碑

鎌倉橋の碑

埼玉県川口市本町1丁目、荒川のスーパー堤防近くの住宅地の一画に設けられた鎌倉橋記念緑地に立つ昭和35年建立の石碑が、鎌倉橋の碑。鎌倉街道(奥州街道)の中道(なかつみち)は、この場所で入間川(現在の荒川)を渡り、船戸原(現・川口市立南中学校の校庭)に小さな橋(鎌倉橋)が架かっていたことを記しています。

源義経、源頼朝も通った鎌倉街道中道の跡が川口市に!

鎌倉橋の碑

鎌倉時代、鎌倉から奥州へ向かう街道は、西側から順に上道、中道、下道の3ルートありましたが、そのうち中道が現在の岩淵(現・東京都北区)から舟渡(ふなと=現在の川口市南中学一帯)に渡るルート。

南北朝時代から室町時代初期に成立した軍記物語『義経記』(ぎけいき)にも治承4年(1180年)、源義経が兄・源頼朝の挙兵に応じて平泉を発し、川口を過ぎるときには軍勢は85騎を数えたと記され、ここで川を渡ったと推測されるのです。

源頼朝が奥州・平泉の藤原氏討伐に向かった道でもあるのです。
『義経記』には「こかわぐち」(小川口)とあり、当時、利根川の渡河を川口(現・加須市川口)、現在の川口市の荒川の渡河を小川口と称していたことがわかります。

文政13年(1830年)完成の『新編武蔵国風土気記稿』には、「往古八幡太郎奥州征伐の時、旗を建し所なれはかく名付りと又ここに鎌倉橋と云土橋あり、当所も古鎌倉街道なりし故この名ありと云」と記されています。

鎌倉橋の碑が建立されたのは昭和35年ですが、江戸時代、将軍家の日光社参の道だった日光御成道が国道122号となったのも同年。
つまり、日光御成道が国道になったのを受け、鎌倉街道の見直しが行なわれたものだと推測できます。

近くには川口市の歴史、文化、民俗などを解説する「川口市立文化財センター」もあるので、あわせて見学を。
鎌倉橋の碑から北の錫杖寺(しゃくじょうじ)に向かって続く道が、かつての鎌倉街道、近世の日光例幣使街道・川口宿ですが、あまり面影がありません(旧川口宿本陣表門のみ現存)。

鎌倉橋の碑
名称 鎌倉橋の碑/かまくらばしのひ
所在地 〒332-0012 埼玉県川口市本町1-8-19地先
電車・バスで 埼玉高速鉄道川口元郷駅から徒歩12分、JR川口駅から徒歩16分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
川口市立文化財センター

川口市立文化財センター

埼玉県川口市本町1丁目、国道122号沿いのUR都市機構UR賃貸住宅の2階・3階部分が、川口市立文化財センター。川口市内の貝塚などの遺跡から出土した土器などの遺物、近世に日光御成道の宿場として栄えた史料、そして地場産業である鋳物文化などを詳し

善光寺(川口市)

善光寺(川口市)

埼玉県川口市舟戸町、荒川のスーパー堤防上に建つ真言宗智山派の寺が、善光寺。鎌倉時代初期の建久8年(1197年)、定尊が善光寺如来のお告げで、笈(おい)に入れた阿弥陀三尊を携えて諸国を訪ね歩き、笈が動かなくなったことから開山したという古刹です

 

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