備中松山城・天守
備中松山城は、大松山・天神の丸・小松山・前山(下太鼓丸)という4つの峰からなる臥牛山山上に建つ山城。本丸は標高430mの小松山に位置し、その最高所に建つのが天守。二重櫓と同様に天和元年〜天和3年(1681年~1683年)…
備中松山城は、大松山・天神の丸・小松山・前山(下太鼓丸)という4つの峰からなる臥牛山山上に建つ山城。本丸は標高430mの小松山に位置し、その最高所に建つのが天守。二重櫓と同様に天和元年〜天和3年(1681年~1683年)…
愛媛県松山市街の中心、標高131.4mの勝山に建つ松山城は、秀吉の家臣で賤ヶ岳合戦の「七本槍」の一人、加藤嘉明(かとうよしあきら)が25年の歳月を費やし寛永4年(1627年)に築城した平山城。天守など21棟が現存し、国の…
現在、国内に戦国末期から江戸時代の木造天守が残るのは12ヶ所。「現存12天守」と呼ばれています。北から、弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高…
松江城の天守は、全国に現存する12天守のひとつで、国内に5つしかない国宝天守のひとつ。慶長16年(1611年)、堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成したもの。12天守のうち、天守閣の大きさ(平面規模)では2番目、高さ(約30…
慶長16年(1611年)、信長・秀吉・家康に仕えた堀尾吉晴(ほりおよしはる)が亀田山に築城した城。関ヶ原の合戦後、堀尾吉晴、忠氏親子は月山富田城に入城しますが、山城で不便なため亀田山に松江城を築き、近世的な城下町を縄張り…
岡山県高梁市、高梁川を眼下にする4つの峰からなる臥牛山(487m)の山上に建つ山城。岩村城(岐阜県恵那市岩村町)、高取城(奈良県高取町)と並び日本三大山城に数えられています。往時の天守が残る現存12天守のうちでも唯一の山…
宇和島城は、愛媛県宇和島市街の中心部、標高80mの丘陵地にある平山城。丸串城と呼ばれた中世の砦があったが、板島(現在の宇和島)に入城した築城の名手・藤堂高虎(とうどうたかとら)が大改修を行ない、慶長6年(1601年)にほ…
彦根城の国宝に指定される天守は、牛蒡(ごぼう)積みと呼ばれる一見雑に見えるが実は強固だという石垣の上に三重の天守をのせたもの。天守完成の慶長11年(1606年)には、彦根藩はまだ18万石。石高に合わせたやや小ぶりの天守と…
国内に現存する12の現存天守の一つが姫路城の天守。しかも現存する天守のなかで最大の規模を誇り、大天守と3重の小天守3基(東小天守・西小天守・乾小天守)、さらに天守を結ぶ2重の渡櫓のすべてが国宝に。
往時の天守が残る全国現存12天守のひとつが松山城・天守で国の重要文化財。松山城は津山城(岡山県津山市)、姫路城と並び「日本三大平山城」に数えられますが、勝山(城山)山頂の本丸に位置するのが天守。創建当初は五重の天守だった…
高知城の本丸にそびえる天守は現存12天守(弘前城、国宝松本城、丸岡城、国宝犬山城、国宝彦根城、国宝姫路城、国宝松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城)のひとつ。望楼型天守の典型で、外観は4重、内部は5階建て…
丸亀市のシンボルともなっている丸亀城は、亀山(標高66m)の山頂に本丸を配した平山城。1597(慶長2)年、豊臣秀吉の配下として活躍した生駒親正(いこまちかまさ)が讃岐17万石を与えられ入城し、6年の歳月を要して近世の城…
丸亀市のシンボルともなる丸亀城は、1597(慶長2)年、豊臣秀吉の重臣・生駒親正(いこまちかまさ)が、西讃防備のために、高松城の支城として5年の歳月を掛けて築いた城。三重三層入母屋造の天守閣は、日本に現存する12の木造天…
5層天守閣としては日本最古の城。築城は1504(永生元)年ですが、5層天守閣となったのは1593〜1594(文禄2〜3)年のこと。鉄砲や矢を放つ狭間(さま)も117ヶ所も設けられ、実戦を意識した設計であることがよくわかり…
津軽藩の2代藩主・津軽信牧(つがるのぶひら)が1611(慶長16)年に築いた城が弘前城。一帯は弘前公園として整備されゴールデンウィーク前後には5000本の桜が咲き、「日本さくら名所100選」にも選定。弘前城は全国でも珍し…
柴田勝家の甥・柴田勝豊(しばたかつとよ)が天正4年(1576年)、北ノ庄城(福井城)の支城として築城した城で、藩政時代には丸岡藩の政庁となりました。天守は江戸時代初期のままの状態で現存し、現存する日本最古級の天守となって…
姫路城、彦根城、松本城、松江城と並ぶ国宝の天守が犬山城。天文6年(1537年)、鵜沼を対岸に木曽川を眼下にする要衝に織田与治郎信康(織田信長の叔父)が築いた天守は現存する日本最古の様式。木之下城(現・愛知県犬山市犬山愛宕…