林芙美子文学碑
鹿児島県鹿児島市、噴煙上げる桜島の南岸、荒磯に面した古里温泉。2軒の温泉宿が営業する素朴な温泉地は、『放浪記』、『浮雲』などで知られる明治時代の小説家・林芙美子(はやしふみこ)ゆかりの地。古里温泉の高台にある古里公園に林…
鹿児島県鹿児島市、噴煙上げる桜島の南岸、荒磯に面した古里温泉。2軒の温泉宿が営業する素朴な温泉地は、『放浪記』、『浮雲』などで知られる明治時代の小説家・林芙美子(はやしふみこ)ゆかりの地。古里温泉の高台にある古里公園に林…
日本に初めてキリスト教を伝えた、イスパニア(スペイン)のイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエル。鹿児島市東千石町にあるザビエル公園は、昭和24年にザビエル来航400年を記念して開園。天文18年7月22日(1549年8月1…
2023年2月4日(土)〜4月30日(日)、鹿児島市の仙巌園で『薩摩のひなまつり』を開催。梅の開花が始まるころ仙巌園ではカンヒザクラも開花し始め、春の足音が刻々と近づいて来ます。春の訪れとともに仙巌園・尚古集成館では、恒…
鹿児島市の甲突川左岸緑地の一角、高見橋のたもとに立つ、大久保利通銅像。銅像は没後100年を記念して、昭和54年に設置されたもの。西郷隆盛、木戸孝允と並んで「維新の三傑」と称される大久保利通は、西郷隆盛と同じ加治屋町に住み…
鹿児島市の南洲公園にある南洲墓地は、西郷隆盛(西郷南洲)など西南の役での犠牲者の霊が眠る墓地。西郷隆盛の墓を守るかのように桐野利明、篠原国幹(しのはらくにもと)、村田新八、辺見十郎太(へんみじゅうろうた)、別府晋介、桂久…
万治元年(1658年)、第19代当主で薩摩藩第2代藩主の島津光久(しまづ みつひさ)によって造園された仙巌園。島津家の別邸として利用された磯御殿は、見事な書院造り。明治21年からは焼失した鹿児島城に代わり、島津忠義公爵一…
万治元年(1658年)に島津家19代、薩摩藩第2代藩主・島津光久(しまづ みつひさ)が別邸として造園した庭園が仙巌園で、通称「磯庭園」。園内には奇岩奇石が多く、中国江西省・龍虎山の仙巌に似ていることから「仙巌園」と名付け…
徴兵制、廃刀令は、旧士族にとっては許せないことで、明治9年10月24日の熊本県士族の神風連の乱を皮切りに、27日の福岡県士族の秋月の乱、28日の萩の乱と不平士族の乱が連続。それが西南戦争へと発展。総大将となった西郷隆盛は…
大久保利通(薩摩藩出身)、木戸孝允(きどたかよし=桂小五郎/長州藩出身)とともに「維新の三傑」といわれたのが西郷隆盛。文政10年12月7日(1828年1月23日)、薩摩国鹿児島城下の加治屋町山之口馬場(下加治屋町=現・鹿…
鹿児島駅から徒歩7分の鹿児島本港(桜島桟橋)と桜島港を15分の船旅で結んでいるのが鹿児島市営の桜島フェリー。年中無休で24時間運航というフェリーで、「待たずに乗れる」がキャッチフレーズ。平成15年に就航した「第十八櫻島丸…
鹿児島駅の東、稲荷川河口の祗園之洲は、島津斉彬(しまづなりあきら)の命により築かれた薩摩藩の台場(祇園之洲砲台)があった場所で、生麦事件に端を発した文久3年(1863年)の薩英戦争では砲撃戦が行なわれた場所です。稲荷川を…
日本初の近代的な工場群である「集成館」を仙巌園内に設けた薩摩藩主・島津斉彬(しまづなりあきら)ですが、藩の富国強兵、そして外国船への備えから嘉永4年(1851年)、オランダの技術書の翻訳書を参考に西欧の鋳造技術を導入し、…
慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で島津家は西軍に属しますが、徳川家重臣・井伊直政の取りなしで領地を安堵され、島津義弘の三男・島津家久が当主となり鹿児島藩(通称薩摩藩)を立藩。慶長7年(1602年)、初代藩主・島津家久…
明治10年、西郷隆盛率いる西郷軍は西南戦争田原坂(たばるざか)の戦いに敗れ、鹿児島に戻り城山にたてこもります。政府軍4万に対し、西郷軍は300人という劣勢でしたが、9月19日から9月24日未明に至るまで、西郷隆盛は現在、…
昭和12年に西郷隆盛没後50年祭記念事業として城山山麓(鹿児島市立美術館前)に立てられた西郷隆盛銅像。上野公園の西郷像(明治30年・高村光雲作)が着流し姿なのに対して、こちらは陸軍特別大演習(明治6年)のときの凛々しい軍…
桜島ビジターセンターのある袴腰地区と烏島展望所を結ぶ全長3kmの遊歩道。大正溶岩流の岩海を歩きますが道はよく整備され歩きやすいのでぜひチャレンジを。要所には木造のデッキも配され桜島の山並みはもちろん、対岸の鹿児島市街など…
桜島が大隅半島と陸続きとなった大正3年の大噴火では、1ヶ月にわたり30億tもの溶岩が流出。桜島の沖合500mにあった烏島(からすじま)は桜島東部の引ノ平から流出した溶岩流にのみ込まれ桜島と陸続きとなりました。烏島は147…
桜島の東岸にある腹五社神社(黒神神社)の鳥居が黒神埋没鳥居。大正3年1月12日に始まった桜島の大爆発で、それまでは完全な島だった桜島は大隅半島が陸続きとなりましたが、その爆発で腹五社神社参道の鳥居は軽石や火山灰によって笠…