石橋記念公園

石橋記念公園

鹿児島駅の東、稲荷川河口の祗園之洲は、島津斉彬(しまづなりあきら)の命により築かれた薩摩藩の台場(祇園之洲砲台)があった場所で、生麦事件に端を発した文久3年(1863年)の薩英戦争では砲撃戦が行なわれた場所です。稲荷川を挟んだ河口部分は石橋記念公園として整備され、中心施設として石橋記念館が建てられています。

岩永三五郎が幕末に架橋した石造4連アーチ橋3つを移築保存

石橋記念公園
石橋記念公園

肥後の石工・岩永三五郎(いわながさんごろう)は幕末の天保11年(1840年)に第8代藩主・島津重豪(しまづしげひで)に招聘され、鹿児島の中心部を流れる甲突川に「甲突川の五石橋」と呼ばれる5つの石橋を架けています。
まかでも西田橋(にしだばし)は参勤交代に藩主が利用する橋。
鹿児島城下の玄関口として藩の威光を誇示した橋で、豪華な装飾が施され、岩永三五郎の代表作にもなっています。

石橋建造技術の漏洩防止のため、岩永三五郎は暗殺されるのではという噂も立ったほどで、実際に刺客が送られたという話も残されています。

平成5年8月6日の大水害で、新上橋(しんかんばし)と武之橋(たけのはし)の2橋が流失。
それを機に、弘化3年(1846年)架橋の西田橋、弘化4年(1847年)架橋の高麗橋(こうらいばし)、嘉永2年(1849年)架橋の玉江橋(たまえばし)の3橋(いずれも4連アーチ橋)が石橋記念公園に移築保存されています。

岩永三五郎は、熊本県上益城郡山都町に現存する通潤橋(つうじゅんきょう)を嘉永7年(1854年)に架橋するなど、幕末の石造アーチ橋のスペシャリスト。

日没~21:00には西田橋・御門ライトアップも実施。
また西田橋下「水の流れ」(水道水を循環)は、9:00~20:00(11月~2月は17:00まで)。
川を渡った北側には薩英戦争時にイギリス海軍の旗艦ユーライアラスから砲撃を受けた祇園之洲砲台(第8台場)の跡があります。
 

石橋記念公園 DATA

名称 石橋記念公園/いしばしきねんこうえん
所在地 鹿児島県鹿児島市浜町1-3
関連HP 石橋記念公園公式ホームページ
電車・バスで JR鹿児島駅から徒歩15分
ドライブで 九州自動車道鹿児島北ICから約6.2km。または、鹿児島東西道路田上ICから約7km
駐車場 100台/無料
問い合わせ TEL:099-248-6661/FAX:099-248-6662
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材・画像協力/鹿児島市・鹿児島県観光連盟

 

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プレスマンユニオン編集部

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