那須疎水(那須疏水公園)

那須疎水(那須疏水公園)

那須野ヶ原に農業、飲料の用水を供給するために、明治18年、栃木県令(県令=廃藩置県、藩知事廃止後、明治4年〜19年に置かれた県の長官)・三島通庸(みしまみちつね)、さらには地元の実業家・矢板武(やいたたけし)、印南丈作(いんなみじょうさく)らの尽力で開削された用水が那須疎水で、日本三大疎水のひとつ。疏水百選にも選定。

明治18年に国家事業で那須野ヶ原開削された農業用水

那須疎水
那須野ヶ原4300haを潤す那須疎水

那須野ヶ原には、すでに慶長年間(1595年~1615年)に、蛇尾川(せびがわ)を水源とする蟇沼用水(ひきぬまようすい)、宝暦13年(1763年)に木ノ俣川を水源とする旧木ノ俣用水が開削されていますが、原野のごく一部を潤すだけにとどまっていました。
江戸時代の山崎北華の紀行文『蝶の遊』には、「手して掬ふ(すくう)水もなし」と記されるほどの荒涼たる原野だったのです。
初代栃木県令・鍋島幹は、那珂川と鬼怒川間を運河で結び、会津〜那須〜東京間の舟運を確保するという那須野ヶ原発展に向けた壮大な「大運河構想」を打ち出します。

明治政府の観農局長だった松方正義は国の発展には運河よりも欧米の大農場経営が適していると主張し、原野のて開墾事業を奨励し、県令の三島通庸ら薩摩藩出身士族らの経営する肇耕社(ちょうこうしゃ=後の三島農場)に1037ha、地元有志の印南丈作、矢板武の経営する那須開墾社には3000haの土地が払い下げられました。

同時に、明治政府の殖産興業政策を背景に、那須野ヶ原には欧米貴族の大農場経営を真似て山縣有朋らの華族らが入植して大規模な農場経営(華族農場)に乗り出しましたが、火山灰土、少ない日照時間、冷涼な気候、冬の那須おろしという劣悪な環境に加えて、水不足という致命的な欠陥が待ち構えていました。

そこで、三島通庸、印南丈作、矢板武らは、用水建設に尽力し、ついに明治13年、国の直轄工事として那須疎水の掘削が決定します。
明治18年、那珂川の上流に頭首工(とうしゅこう=水の取入口)を築いての幹線水路の工事が始まります。
福島の安積疏水(あさかそすい)を担当し、琵琶湖疏水の基本計画も策定している豊前国金屋村(現・大分県宇佐市)出身の南一郎平(みなみいちろべえ)と大分県の石工集団(熟練工)が工事を担当し、わずか5ヶ月という短期間に頭首工から16.3kmの幹線水路を完成させています。

那須疎水は、那珂川の岩崎取水堰で取水し、那須野ヶ原に水を供給するもので、着工翌年の明治19年には96kmに達する支線水路も完成しています。
那須疏水の工事には国から10万円が拠出されていますが、明治18年の内務省土木局の年間予算が100万円ですから、なんと1/10にあたるという国家的プロジェクトだったのです。

那須疏水の拡張は、その後明治38年、昭和3年にも行なわれ、那須野ヶ原は肥沃な土地へと変貌していったのです。

那須高原大橋近く(那須塩原市西岩崎地内)にある旧取水施設の東水門(明治18年竣工)、西水門・導水路・余水路(明治38年竣工)は国の重要文化財に指定されています。
一帯は那須疏水公園として整備され、見学が可能。

那須疎水(那須疏水公園)
名称那須疎水(那須疏水公園)/なすそすい(なすそすいこうえん)
所在地栃木県那須塩原市西岩崎
関連HP那須塩原市公式ホームページ
ドライブで東北自動車道那須ICから約8.5km
駐車場10台/無料
問い合わせ那須塩原市教育部生涯学習課 TEL:0287-37-5419
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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