日光山輪王寺・本坊表門(黒門)

日光山輪王寺・本坊表門(黒門)

日光山輪王寺の旧本坊は、明治4年5月13日に焼失していますが、その表門だったのが日光表参道に面して建つ本坊表門(黒門)。黒漆塗りのため、黒門と通称されています。皇族を日光山の門主(輪王寺宮)と仰ぐ門跡寺院の格式を示す門で天海大僧正が創建したもので、国の重要文化財。菊の紋章が添えられています。

明治4年焼失の旧本坊の表門

後水尾天皇(ごみずのおてんのう)・第3皇子の守澄法親王宮(しゅちょうほうしんのうのみや)が正保4年(1647年)、関東に下向し東叡山寛永寺に入り、貞応3年(1654年)、東叡山・日光山の貫主となった後、本坊の表御門となっています。
翌明暦元年(1655年)には朝廷から日光山に対し「輪王寺」号を与えられ、輪王寺宮門跡が始まっています。
明暦2年(1656年)には、徳川幕府により輪王寺宮門跡が比叡山(延暦寺)、東叡山(寛永寺)、日光山(輪王寺)三山を管領する長として定められています。

東京・上野の東叡山寛永寺の本坊には、代々天皇家の皇子が東下し、東叡山と日光山の門主(輪王寺宮)として居住していました。
上野の旧本坊のあった場所には東京国立博物館が建っていますが、旧本坊表門(黒門)は上野にも現存しています。

徳川幕府が朝廷に接近し、天台宗の主要な三山を門跡寺院とすることにより、東照大権現を祀る日光山の地位をさらに確固たるものにするという狙いもあったと推測できます。
そんな徳川幕府の宗教政策を今に伝えるのが本坊表門(黒門)の菊の紋章です。
美しい唐獅子、牡丹の彫刻もお見逃しなく。

日光山輪王寺・本坊表門(黒門)
名称 日光山輪王寺・本坊表門(黒門)/にっこうさんりんのうじ・ほんぼうおもてもん(くろもん)
所在地 栃木県日光市山内2300
関連HP 日光山輪王寺公式ホームページ
電車・バスで 東武日光駅から東武バス世界遺産めぐりで勝道上人像前下車、徒歩3分
ドライブで 日光宇都宮道路日光ICから約4km
駐車場 100台/有料
問い合わせ 日光山輪王寺 TEL:0288-54-0531
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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