銀座4丁目交差点

銀座は1丁目から8丁目までありますがその中心が4丁目交差点で、銀座通り(中央通り=旧東海道)と晴海通りの交差点。商業地として日本一地価の高い場所にもなっています。銀座通りは江戸時代以来のメインストリートで、銀座4丁目交差点は、銀座5丁目側が尾張町で江戸時代には尾張町四ツ辻と呼ばれていました。

江戸時代には銀座5、6丁目が尾張町で呉服屋が並んでいた

周辺がライトアップされた銀座4丁目交差点

尾張町という名は、江戸時代の初めに御三家筆頭の尾張藩が海を埋め立てたことに由来。
幕府が尾張藩に埋め立てを命じたこともその重要性を物語っています。

現在の銀座1丁目から4丁目までは銀貨を鋳造する銀座と当時金座と呼ばれた両替商が軒を連ね、5丁目から6丁目までが尾張町にあたり呉服屋が軒を連ねていました。
銀座5丁目が尾張町1丁目、銀座6丁目が尾張町2丁目にあたり、明治4年に銀座5丁目、6丁目に改称されています。

貨幣の鋳造と銀地金の売買を担った銀座役所(銀座2-7-17/現在のティファニー銀座本店の場所)があったことが銀座の由来で、文明開化に伴って明治6年、銀座通り沿いはレンガ洋館街となったのです。
江戸時代にえびす屋、亀屋、布袋屋という呉服屋が軒を並べた尾張町は、えびす屋が松坂屋銀座店(現・GINZA SIX)になるなど、文明開化以降も日本橋と並ぶ商業エリアに発展します。

耐火建築でもあるレンガ化と同時にガス灯が点されたり、街路樹が植えられたり、鉄道馬車も走るなど銀座は文明開花のシンボルとなりました。

明治時代に舶来品などが並んだ銀座は高級ブランドの路面店も多く、トレンドの街としてもその後、注目され続けてきました。

銀座4丁目交差点を囲む東京のランドマーク

現在、銀座4丁目交差点を囲むのは、和光本店三越銀座店(銀座三越)、NISSAN CROSSING(かつての日産ギャラリー)、そして三愛ドリームセンター

銀座4丁目交差点北側にある和光は、明治14年創業の「服部時計店」(時計商服部金太郎)の小売部門。それ以前は、朝野新聞社(明治26年12月に廃刊)がありました。
現在の和光本館は、屋上に時計塔をもつゆるやかな曲線を描いた瀟洒な建物で、昭和7年の再建。昭和63年には東京都のランドマークにも選ばれています。

和光本館の対面(といめん)である南側、現在のNISSAN CROSSINGの場所には毎日新聞があり、銀座4丁目交差点界隈は、明治時代には新聞社の町だったことも。

銀座4丁目交差点の西側が和光とともに銀座のランドマークになっている三愛ドリームセンターで、「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」にも認定されています。

交差点の南側のNISSAN CROSSINGは、日産のショールーム。最先端テクノロジーを搭載したコンセプトカーや日産の歴史を彩った名車が展示されています。

交差点東側が、呉服店「越後屋」をルーツにする三越の銀座店で昭和5年の開店。当時、松屋と松坂屋は2店舗あわせて1日15万人の集客力を誇っており、関東大震災からの帝都復興をかかげて、三越は銀座の一等地に出店したのです。

昭和4年には、郊外の文化住宅に住む人が夕食後に銀ブラに訪れるため、鉄道省は山手線に「銀ブラ電車」を運転しています。

江戸切絵図に見る銀座4丁目交差点

銀座4丁目交差点
名称 銀座4丁目交差点/ぎんざよんちょうめこうさてん
所在地 東京都中央区銀座4
電車・バスで 東京メトロ銀座線・丸ノ内線・日比谷線銀座駅からすぐ
ドライブで 首都高速銀座ランプから500m
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

和光本館

2017年1月31日

 

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