江戸城 伏見櫓

江戸城西の丸の西南隅に建てられた二重櫓で、両横には大規模な多聞(たもん=防御を兼ねた収蔵庫)も続いています。1628(寛永5)年、3代将軍家光の時代の江戸城修築に際して、京・伏見城から移築したものと伝えられています(記録がなく伝承です)。石垣も櫓も堅牢で、関東大震災でも崩れずに往時の姿をとどめています。

一般的には皇居前広場から二重橋越しに眺望

  • 二重橋からの伏見櫓
  • 二重橋越しの伏見櫓
  • 徳川秀忠が伏見城から移築した福山城伏見櫓
  • 戸城伏見櫓と少し似ている福山城伏見櫓

伏見櫓の高さは13.4mで、十四間多聞、十六間多聞が脇を固めています。
別名で「月見櫓」と呼ばれ、皇居で最も美しい櫓といわれていますが、最上階の窓を大きくするなど、「月見櫓」らしさはありません。
(福山城、松本城、岡山城の月見櫓は、月を眺めるのに都合の良いように窓を大きくしたり、最上階に廻縁を設けたりしています)
皇居のなかに位置するため、見学などはできません。
インターネットなどで、皇居一般参観を申し込めば、比較的に間近で見学することができます。

一般的には皇居前広場から二重橋越しに伏見櫓を眺めることになります。
江戸城には、往時には19もの櫓がありましたが、現在では、桜田巽櫓、富士見櫓、伏見櫓の3ヶ所しか残されていません。
ちなみに、福山城(広島県福山市)の伏見櫓(国の重要文化財)は、2階の梁に京・伏見城松の丸からの移築を表す刻印が発見されていますが、江戸城伏見櫓からはそういった証拠がまだ見つかっていません。

ちなみに江戸城の築城当時、現在の松の木が植栽された広大な皇居前広場一帯は、日比谷入江(江戸湾)でした。
江戸時代には埋め立てられ、老中や若年寄りなどの屋敷が建ち並んで「西の丸下」と呼ばれるようになりました。

皇居一般参観コース

桔梗門(入門)-窓明館(休所)-富士見櫓下-塔の坂-宮殿東庭-宮殿中門-正門鉄橋(渡ってから折り返し)-宮殿東庭-宮殿北車寄前-山下通り-宮内庁庁舎前-桔梗門(出門)

古地図&絵図に見る江戸城西の丸伏見櫓

古地図&絵図に見る江戸城西の丸伏見櫓
古地図&絵図に見る江戸城西の丸伏見櫓
江戸城 伏見櫓
名称 江戸城 伏見櫓/えどじょう ふしみやぐら
所在地 東京都千代田区千代田1-1
関連HP 宮内庁公式ホームページ(一般参観案内)
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄大手町駅から徒歩6分。東京メトロ竹橋駅から徒歩10分、JR東京駅から徒歩11分
駐車場 なし/大手センターパーキング(185台/有料)などを周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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