東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。その墓地には数多くの著名人が眠っていますが、そのひとつが山縣有朋の墓(やまがたありとものはか)。山縣有朋は、最下級の萩藩士である中間(ちゅうげん)から身を起こして、明治の重鎮に。
無鄰菴など名庭をも残した明治の重鎮・山縣有朋が眠る
内務大臣(初代)、内閣総理大臣(第3・9代)、司法大臣(第7代)、枢密院議長(第5・9・11代)などを務めた山縣有朋。
教育勅語発布も山縣有朋の第1次内閣時代で、陸軍大将を兼任したことから軍事予算の拡大も行なっています。
京都の無鄰菴は、山縣有朋が7代目・小川治兵衛に依頼して築いた名庭。
「椿山荘」は、山縣有朋が明治11年、私財を投じて築いた私邸の跡です。
大正11年2月1日、小田原の別邸・古稀庵で没し、国葬の後、棺は護国寺に運ばれ、護国寺に埋葬。
戒名は報国院釈高照含雪大居士。
その立身出世は、「枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵」という墓碑に表されています。
藩閥政権である桂内閣が民衆運動によって倒れ、そして山縣有朋の死により、ようやく薩長による藩閥支配が終焉、大正デモクラシーが興隆していったのです(吉野作造は民本主義を唱え、「君側二三者の意見に諮る」閥族政治が、「人民一般の意嚮に聴く」議会政治に比べて如何に非合理的で非立憲的であるかを示し、政党政治の実現を説いたのです)。
境内には、山縣有朋のほかに国葬をもって送られた三条実美(さんじょうさねとみ)、やはり国葬だった大隈重信ら明治政府の有力者や、旭日大綬章を実業家として初めて受賞した大倉財閥の設立者(鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立)・大倉喜八郎、三井財閥の総帥・団琢磨(だんたくま)、安田財閥の祖・安田善次郎など実業家、さらに作曲家・團伊玖磨、建築家・ジョサイア・コンドル(Josiah Conder=ジョサイア・コンダー)、漫画『巨人の星』・『あしたのジョー』・『タイガーマスク』で有名な梶原一騎(かじわらいっき)、空手の大山倍達などが眠っています。
山縣有朋の墓 | |
名称 | 山縣有朋の墓/やまがたありとものはか |
所在地 | 東京都文京区大塚5-40-1 |
関連HP | 護国寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ有楽町線護国寺駅から徒歩すぐ |
ドライブで | 首都高速5号線護国寺出口から約500m |
駐車場 | 桂昌殿駐車場(70台/有料)を利用 |
問い合わせ | 護国寺 TEL:03-3941-0764/FAX:03-3941-0721 |
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