成子天神社(成子富士)

成子天神社(成子富士)

東京都新宿区西新宿にある古社が、成子天神社(なるこてんじんしゃ)。社伝によれば延喜3年(903年)、菅原道真の家臣が創建したと伝えられる天満宮で、境内にそびえる富士塚は、大正9年に丸藤成子講(富士講)が築造したもので、成子富士と呼ばれています。

境内には新宿区最大の富士塚も

江戸時代には、徳川家光の乳母・春日局(かすがのつぼね)が、柏木村鳴子(成子)に社地を寄進、天満天神社として社殿を造営しています。
江戸時代には青梅街道両側沿いに町家が並び、周辺には田畑が広がるのどかな土地で、害鳥を追い払うために鳴子(防鳥用の農具)を鳴らしたのが、成子の由来とされています(酒屋が軒先に鳴子を下げたという説も)。
その後、明治27年に成子神社に、昭和3年に成子天神社と改称しています。

平成26年には境内地にマンションを建設し、社殿も新たに造営。
社殿横の成子富士は、大正9年8月、境内の天神山に富士山から運んだ溶岩を置いて造成したもの。
現在の北新宿、西新宿一帯の丸藤成子講(富士講)が築造したものです。

大正9年はちょうど、「富士山御縁年」(富士登山の御利益が高い年)とされる庚申(かのえさる)の年(西暦で60の倍数の年、大正9年は1920年)にあたります。
富士講では富士山は紀元前301年の庚申年に姿を現したとされ、庚申信仰隆盛の江戸時代には広く流布していたのです。

高さ12mもあり、新宿区内に移築を含めて現存する富士塚(西向天神社・東大久保富士、稲荷鬼王神社・西大久保富士、水稲荷神社・高田富士など)では最大を誇っています。
『東京府豐多摩郡史』(大正5年)には、「此地眺望に富み武藏野平原を越えて芙蓉峯を仰ぐべし」と記され、往時には天神山から富士山を仰ぎ見たことがわかり、富士山を遥拝できる富士塚だったのです。

安永8年(1779年)、植木職人・高田藤四郎が築いた早稲田の高田富士が日本最初の富士塚といわれ、現在の新宿区内にも丸藤講、月三講、丸参講などいくつかの富士講が活動していましたが、多くは戦後に廃絶しています。

成子天神社(成子富士)
名称 成子天神社(成子富士)/なるこてんじんしゃ(なるこふじ)
所在地 東京都新宿区西新宿8-14-10
関連HP 成子天神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ西新宿駅から徒歩3分
駐車場 あり
問い合わせ 成子天神社 TEL:03-3368-6933/FAX:03-3368-6933
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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