千登世橋

千登世橋

東京都豊島区、明治通りと都電荒川線を跨ぐ目白通りの橋が、千登世橋(ちとせばし)。豊島区が誕生した昭和8年に当時の東京市が架橋した橋で、当時としては珍しい立体交差になっています。橋長27.96m、幅員18.18mのアーチ橋で、目白台地と関口台地をつないでいます。

西島三重子の歌った『千登勢橋』の舞台が、千登世橋

東京都市計画街路改修事業として昭和8年に明治通りが完成していますが、その工事の一環で架橋されたのが千登世橋です。
当初は目白通りと平面交差する予定でしたが、東京府は明治通りが新宿と池袋を結ぶ唯一の幹線道路であることから、将来の交通量の増大を予測し、かつ台地上へと上る坂道の勾配を緩やかにするために立体交差にしたのです(千登世橋の架橋が東京初の立体交差です)。

千登世橋の橋詰広場にはコンクリート製のベンチと花壇があり、橋の来歴を説明する案内板、來島良亮記念碑(くるしまりょうすけきねんひ/昭和9年建立)が設置されています。
來島良亮は昭和2年に東京府土木部長に就任、関東大震災からの復興事業や、道路計画に尽力、49歳の若さで急逝したため、その一周忌に橋詰広場に記念碑が建立されているのです。

正式には目白通りをまたぐ跨道橋が千登世橋、都電がくぐる跨線橋の部分は、千登世小橋ですが、一体的に建築され、区別がつきません。
千登世橋という風雅な名前は、橋の着工当時、架橋の地が高田町大字高田千登世という地名だったから。

架橋当時は江戸川バス(江戸川乗合自動車商会)が目白通りを走って目白駅〜江戸川橋を結び、王電バス(王子電気軌道のバス部門)が王子駅前〜池袋駅前〜鬼子母神前を結んでいました。

昭和51年4月25日に発売され、西島三重子が歌ってヒットした『池上線』(作詞・佐藤順英、作曲・西島三重子)ですが、昭和54年に『千登勢橋』(作詞・門谷憲二、作曲・西島三重子)をリリース。
その舞台となったのがこの千登世橋です。
「電車と車が並んで走る」千登勢橋(実際には千登世橋)の上から白いハンカチを落とすという印象的な歌詞ですが、今もその光景はほとんど変わりません。

歌詞に登場する「カテドラルの鐘」は、丹下健三設計の東京カテドラル聖マリア大聖堂(カトリック関口教会)の鐘のことです(高い塔に4個の鐘が下がります)。

千登世橋
名称 千登世橋/ちとせばし
所在地 東京都豊島区目白1丁目〜雑司が谷3-1-1
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
鬼子母神前停留場

鬼子母神前停留場

東京都豊島区雑司が谷2丁目にある都電荒川線(東京さくらトラム)の電停が、鬼子母神前停留場 (きしぼじんまえていりゅうじょう)。その名の通り、鬼子母神(きしもじん)を祀る雑司ヶ谷の鬼子母神堂の玄関駅。駅名は「きしもじん」ではなく、通称の「きし

 

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