東京都千代田区神田駿河台4丁目と文京区湯島1丁目の間を流れる神田川に架る橋が、聖橋(ひじりばし)。優美なコンクリートアーチ橋は、関東大震災後に架橋された復興院(後の復興局)の震災復興橋梁のひとつで、昭和2年9月8日の完成。御茶ノ水のシンボルは、土木学会選奨土木遺産にも認定。
「芸術としての建築」を希求した山田守のデザイン
聖橋(橋長92.0m、幅22.0m)のデザインはモダニズム建築を実践し、永代橋、萬代橋(新潟市)にも関わった山田守(やまだまもる)。
復興橋梁として内務省が設計、山田守がデザインに関与しているのですが、当時弱冠33歳の建築家だった山田守(日本初の近代建築運動「分離派建築会」のメンバーで、「芸術としての建築」を希求)の色彩が最も強く表れたものとして有名です。
橋名は公募によるもので、湯島聖堂とニコライ堂を結ぶことから聖橋と命名されています。
聖橋は、外堀を走るJR中央線・御茶ノ水駅の聖橋口側に架かっていますが、一帯はもともと神田山という台地で、元和6年(1620年)、徳川秀忠の命を受け、伊達政宗(だてまさむね)が工事を担当して山を切り開き、仙台濠と称する濠を築き、さらに万治3年(1660年)、仙台藩4代藩主・伊達綱村が拡幅した人工の渓谷。
下流側に昌平橋が架かっていましたが、峡谷部分に橋はありませんでした。
御茶ノ水駅も当初は御茶ノ水橋の上流側にありましたが、中央線の複々線化工事などを受けて、関東大震災後に現在の聖橋と御茶ノ水橋の間に移設されています。
昭和7年7月1日、御茶ノ水駅に総武本線の電車が乗り入れを開始、さらに昭和8年9月15日に御茶ノ水 〜飯田町間の複々線化工事が完成して中央線急行電車(現在の中央線快速)が運転を開始し、現在の風景が生まれています。
地下鉄丸ノ内線の池袋駅(当初は仮駅)〜 御茶ノ水駅間開業は、昭和29年1月20日。
その後、聖橋と、その下、神田川(神田川橋梁)を渡る丸ノ内線は、乗り物絵本の代表的な構図となっていました。
聖橋 | |
名称 | 聖橋/ひじりばし |
所在地 | 東京都千代田区神田駿河台4丁目~文京区湯島1丁目 |
関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | JR・東京メトロ御茶ノ水駅からすぐ。東京メトロ新御茶ノ水駅から徒歩5分 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
最新情報をお届けします
Twitter でニッポン旅マガジンをフォローしよう!
Follow @tabi_mag