東京都台東区池之端1丁目にある都立庭園となっている三菱財閥岩崎家の庭園と邸宅が、旧岩崎邸庭園。明治29年、岩崎弥太郎の長男で三菱第3代社長・岩崎久弥(いわさきひさや)の本邸とそれに付随する庭園として築かれたもの。現在は往時の3分の1の敷地ですが公園(1.8ha)として公開されています。
洋館と撞球室はジョサイア・コンドルの設計
岩崎久弥が本邸として建てた当時は、1万5000坪という広大な敷地に、20棟もの建物が並んでいました。
現存するのは、木造2階建・地下室付きの洋館、撞球室(どうきゅうしつ=ビリヤード場)、洋館と連絡する書院造りの和館の3棟で、洋館と撞球室は、ジョサイア・コンドル(Josiah Conder)の設計。
4代目の岩崎小弥太(いわさきこやた)が療養生活を送った岩崎家高輪別邸(現・開東閣)もジョサイア・コンドルの設計です(明治41年築)。
広大な庭は、建築様式と同時に和洋併置式で、大名庭園(江戸時代には越後高田藩・榊原家の中屋敷)を踏襲しながら芝庭があるのは、近代庭園の初期だから。
庭園内には越後高田藩3代藩主・榊原正令(さかきばらまさのり)が文化4年(1807年)に建立した「香月亭遺蹟碑辞」が残され、不忍池に月が映り込んだという当時の景観が記されています。
ジョサイア・コンドル設計の洋館は、1階ベランダに、イギリス・ミントン(Minton)製のタイルが目地無く敷き詰められ、2階には貴重な金唐革紙の壁紙が貼られた客室もあって必見の価値があります。
往時には岩崎家の迎賓館として活用されたため、豪華な設(しつら)いになっているのです。
大工棟梁・大河喜十郎(常に念仏を唱えながら大工仕事をしていたことから「念仏喜十」とも)が手掛けたとされる和館には橋本雅邦(はしもとがほう)が下絵を描いたと伝えられる障壁画も残されています。
現存するのは冠婚葬祭などに使われた大広間の1棟だけで、岩崎家の居住空間や、使用人部屋などは失われています。
洋館から少し離れた場所に建つ撞球室(ビリヤード場)は、当時の日本では非常に珍しい校倉造り風の壁の木造建築で、スイスの山小屋の雰囲気です。
洋館とは地下道で結ばれています。
洋館、撞球室、無縁坂とを隔てるレンガ塀などは国の重要文化財に指定。
ペット連れでの入場はできません。
駐車場はないので公共交通機関の利用を。
建物内での撮影は平日のみ可能。
画像協力/台東区
旧岩崎邸庭園 | |
名称 | 旧岩崎邸庭園/きゅういわさきていていえん |
所在地 | 東京都台東区池之端一丁目 |
関連HP | 東京都公園協会公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ湯島駅から徒歩3分 |
駐車場 | なし/周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 旧岩崎邸庭園サービスセンター TEL:03-3823-8340 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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