帝国劇場

帝国劇場

東京都千代田区丸の内3丁目にある明治44年開場という歴史ある劇場が、帝国劇場。帝劇(ていげき)の通称で知られ、東映が運営しています。大正初年頃のプログラムに刷られた「今日は帝劇、明日は三越」という三越呉服店の広告は流行語にもなっています。

ミュージカル、演劇などを上演する日本演劇界の殿堂

益田太郎(三井物産の創始者・男爵 益田孝の次男)、電力王の福沢桃介、渋沢栄一(『パリ万博』に派遣された渋沢栄一は、日本でも庶民が気軽に芸術を楽しめるべきだと思案)らが発起人となって、大倉喜八郎が指揮して完成した日本初の西洋式演劇劇場で、「今日は帝劇、明日は三越」というプログラムにあった三越呉服店の広告は、浜田四郎(三越の初代宣伝部長)がコピーを考え、竹久夢二が婦人画を描いたもの。

大正元年にはイタリアの音楽家ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシー((Giovanni Vittorio Rosi)を招聘し、帝国劇場の歌劇部のオペラ指導者としてジャック・オッフェンバック『天国と地獄』を上演[、ジャコモ・プッチーニの『蝶々夫人』、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの『魔笛』の日本初演を指導・演出しています。
まさに大正時代のモダニズムの象徴的な劇場で、そこに目をつけたのが三越呉服店の初代宣伝部長・浜田四郎だったのです。

帝国劇場歌劇部は、オーケストラの維持費用が嵩むため、洋劇部と改称して洋劇の上演に方針転換していますが、成功ぜず、大正5年に解散しています。

福沢桃介との関係が話題だった川上貞奴(かわかみさだやっこ=夫は『オッペケペー節』の川上音二郎)が明治41年に創設した帝国女優養成所を引き継ぐ形で(川上音二郎は海外公演で女優不足を痛感)、帝国劇場付属技芸学校(日本初の男女共学、近代的俳優養成機関)を設立し、松井須磨子(まついすまこ)、森律子、初瀬浪子、村田嘉久子、河村菊江、藤間房子、佐藤とし子、川上澄子ら、多くの女優を輩出しています(後に帝国劇場が松竹傘下となり、新派に合流)。

関東大震災で被災し、再建後の昭和5年に松竹の経営に移って、洋画封切館に。
昭和15年からは運営が東宝に移され、演劇主体の興行に戻されています。
戦後は再び洋画ロードショー用の映画館となりましたが、昭和40年の映画『アラビアのロレンス』を最後に建物も解体され、出光興産が本社ビルとして昭和41年、国際ビルヂングとの一体型複合ビル型に再建されています(出光興産の本社は令和3年に大手町に移転)。

オーケストラピットを使用しない時の最大席数は1826席。
平成30年には客席のリニューアルなどが行なわれていますが、座席が扇形に配置しているため、最後列からも舞台との距離を近く感じることができる構造に。
椅子は、背もたれから脚部、肘当の先端までテキスタイルで張り包んだ仕様で、帝国劇場らしい歴史と高級感を感じることができます。

帝国劇場
名称 帝国劇場/ていこくげきじょう
所在地 東京都千代田区丸の内3-1-1
関連HP 帝国劇場公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄日比谷駅・東京メトロ有楽町駅からすぐ。東京メトロ日比谷駅・二重橋前駅から徒歩4分
駐車場 地下3階・地下4階駐車場(有料)
問い合わせ 帝国劇場 TEL:03-3213-7221
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

 

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