東京都世田谷区桜1丁目にある曹洞宗の寺が、勝光院(しょうこういん)。建武2年(1335年)、この地を領有した吉良治家の創建と伝えられる古刹で(創建時は臨済宗の龍鳳寺)、世田谷領主吉良氏の菩提寺。竹林と竹垣のある美しい風景は「せたがや百景」に選定。
世田谷領主吉良氏の菩提寺は、竹林も美しい禅寺
貞治5年(1366年)、吉良治家が鎌倉公方・足利基氏から世田谷郷を与えられ、15世紀頃、世田谷城を築いたことが吉良氏の世田谷支配の始まり。
吉良氏のルーツは、三河国幡豆郡吉良荘(現・愛知県西尾市)で、三河吉良氏と奥州(武蔵)吉良氏に分かれ、有名な赤穂事件の吉良上野介は、徳川幕府で高家(こうけ=儀式や典礼を司る重要な役職)を務めた三河吉良氏。
鎌倉公方家に仕えたのが奥州(武蔵)吉良氏で、貞治5年(1366年)に吉良治家が世田谷郷を与えられたことからすると、寺伝の建武2年(1335年)とは不一致になりますが、世田谷の公式な領有以前から何らかのつながりがあったのかもしれません。
江戸時代、赤穂事件によって三河吉良氏が断絶した後には、吉良家として幕府に仕えています。
天正元年(1573年)、吉良氏朝は、父・吉良頼康の菩提を弔うため、曹洞宗の寺・勝光院として中興(勝光院は吉良頼康の法名)。
徳川家康の関東入封時には、30石の朱印地という破格の待遇を受けています。
幕府と吉良氏の庇護を失った明治維新後は衰退し、存続の危機も迎えましたが、復興。
境内には吉良氏代々の墓があり、世田谷区の文化財に指定されています。
貞和5年(1349年)の銘が入った吉良頼氏の名が刻まれた宝篋印塔もありますが、江戸時代に追善供養のために制作されたものだと推測されています。
千手観世音菩薩坐像は、世田谷城の塔頭の千手院の本尊だったもの。
文政6年(1823年)再建の書院は、世田谷区の文化財に指定。
元禄11年 (1698年)鋳造梵鐘は、第二次世界大戦時の金属供出の後、鋳潰しを免れ、金蓮院(葛飾区)にあったものが昭和52年に戻されたもの。
竹林と竹垣のある美しい風景は「宮ノ坂勝光院と竹林」として「せたがや百景」に選定。
勝光院 | |
名称 | 勝光院/しょうこういん |
所在地 | 東京都世田谷区桜1-26-35 |
関連HP | 世田谷区公式ホームページ |
電車・バスで | 東急電鉄世田谷線宮の坂駅、上町駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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