竪川橋梁

竪川橋梁

東京都江東区、竪川(たてかわ)に架かるJR越中島支線(小岩駅〜越中島貨物駅/総武本線の貨物支線)の鉄道橋が、竪川橋梁。昭和4年、当時の鉄道省が架橋した橋長84.48mの橋で、現在は橋のかかる部分の竪川は埋め立てられ、竪川河川敷公園になっているため、公園上の高架橋になっています。

橋桁製作は、渋沢栄一が会長の東京石川島造船所

竪川橋梁

竪川は、徳川幕府が本所の開発を目的に大横川、横十間川とともに掘削した運河のひとつで隅田川と中川(旧中川)を結んでいました(全長5km)。
江戸時代には舟運で利用され、竪川の両岸に商家、土蔵が建ち並んでいました。
昭和5年、荒川放水路の完成で、中川は分断され、竪川も河川交通の役割を終えています。

現在、竪川の上には首都高速7号小松川線が走り、江東区と墨田区部分の竪川は親水公園(江東区=竪川河川敷公園、墨田区=竪川親水公園)が整備され、水のない部分もあります。

竪川橋梁のある部分は江東区で、竪川河川敷公園が整備され、首都高速7号小松川線と立体交差しています(竪川橋梁が首都高速の高架部分の下をくぐっています)。

竪川橋梁の橋桁製作は、明治9年、日本初の民営造船所として誕生し、明治26年、渋沢栄一が会長に就任した東京石川島造船所(現在のIHI、造船事業は昭和14年、豊洲への移設で廃止、工場も昭和54年に移転/当時は造船所が鉄橋をつくっていました)。
架橋当時は渋沢栄一も存命で、東京石川島造船所3代社長・渡邊嘉一(わたなべかいち=「日本土木史の父」)は、鉄道建設のエキスパートで、渋沢栄一のスカウトで、東京石川島造船所に転職していました。
注目は橋台・橋脚部分で、渋沢栄一が存命中の架橋でもあり、レンガが用いられています。

JR越中島支線は現役で使われているため、今も竪川橋梁は貨物列車が通過しています。

竪川橋梁
竪川橋梁
名称 竪川橋梁/たてかわきょうりょう
所在地 東京都江東区亀戸1-26
電車・バスで JR・東武鉄道亀戸駅から徒歩10分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
竪川河川敷公園

竪川河川敷公園

東京都江東区、⾸都⾼速道路7号線の⾼架下に続く、全長2.4km、⾯積7.48haの親水公園が、竪川河川敷公園(たてかわかせんじきこうえん)。江戸城に向かって縦(東西)に流れることが由来という運河の竪川の暗渠部分を親水公園にしたもので、墨田区

 

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