数鹿流ヶ滝

数鹿流ヶ滝

熊本県南阿蘇村を走る国道57号沿いにある落差60m、幅20mの巨瀑で、日本の滝百選にも選ばれている名瀑が数鹿流ヶ滝(すがるがたき)。阿蘇大橋からも眺めることができますが、国道57号沿いの駐車場から徒歩5分で観瀑台。平安時代末、阿蘇大宮司の巻狩で、数頭の鹿が断崖に追い詰められて滑落したことが名の由来といわれています。

下野の巻狩りで鹿の転落が名の由来!?

数鹿流ヶ滝

建久2年(1191年)2月卯の日に、阿蘇谷で阿蘇家が行なった下野狩(しもののかり)の際(巻狩りは阿蘇大宮司が執り行なう最大の神事)、数頭の鹿が逃げ場を失い、渓流に落ちて流されたところから、数鹿流ヶ滝と名づけられた伝えられています。
下野の巻狩りは、建久4年(1193年)、源頼朝が富士山麓で行なった一大軍事演習の「富士の巻狩り」の手本(梶原景時を阿蘇に派遣)となったものともいわれています。

阿蘇大明神(健磐龍命・たけいわたつのみこと)が美田を造ろうと外輪山を蹴破(けやぶ)ってカルデラ湖・阿蘇湖の水を流した時、数多きく鹿が流れ落ちたという神話が名の由来とも伝わっれいます。

赤瀬溶岩流の末端に懸かる

世界最大級の阿蘇カルデラを流れる黒川に架かる数鹿流ヶ滝。
阿蘇カルデラの中央火口丘から噴出した赤瀬溶岩流の末端に懸かるもので、もともとは黒川と白川の合流点(阿蘇長陽大橋が架かる場所)にあったと推測されています。
つまり、数鹿流ヶ滝は数万年という時間のなかで1750mも浸食され、後退していることになるのです。
滝の上流側には赤瀬溶岩の岩盤河床、下流側にはV字谷となった深い峡谷が続き、阿蘇ユネスコジオパークの立野峡谷ジオサイトにもなっています。

熊本県内にある「日本の滝百選」選定の滝は、数鹿流ヶ滝のほか、四十三万滝(菊池市)、せんだん轟の滝(栴檀轟の滝/八代市)、鹿目の滝(人吉市)の4本です。

数鹿流ヶ滝
名称 数鹿流ヶ滝/すがるがたき
所在地 熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野
関連HP 南阿蘇村公式ホームページ
電車・バスで 南阿蘇鉄道長陽駅からタクシーで10分
ドライブで 九州自動車道熊本ICから約28km
駐車場 10台/無料
問い合わせ 南阿蘇村産業観光課 TEL:0967-67-1111
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
鹿目の滝

鹿目の滝

熊本県人吉市を流れる球磨川の支流、鹿目川の上流に架かる雄滝、雌滝、平滝3つの滝の総称が鹿目の滝(かなめのたき)。「日本の滝百選」にも選定される名瀑です。落差36mの勇壮な雄滝は、180万年前の肥薩火山群(国見山地)の火山活動によってできた安

四十三万滝

四十三万滝

菊池市の菊池渓谷にある滝で「日本の滝百選」にも選定されているのが四十三万滝。環境省の「名水百選」に選ばれた菊池水源は菊池川の源流ですが、湧き出した水は阿蘇外輪山の外側斜面を急流となって流れ下っています。四十三万滝の落差は10mほどとさほどで

せんだん轟の滝

せんだん轟の滝

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鮎返の滝

鮎返の滝

熊本県阿蘇郡南阿蘇村を流れる白川に懸かる唯一の滝が鮎返の滝(あゆがえりのたき)。白川の鮎がここから上流へと遡上することを拒むことが名の由来となった落差40mの巨瀑です。周辺はシイ、カシ、ケヤキ、カエデなどが茂る原生林となっています。中央火口

 

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