池袋駅と寄居駅を結ぶ東武東上線。正式名は東武東上本線で、東武東上線という場合には越生線(おごせせん/坂戸駅〜越生駅)を含めた名称ということは知られていません。さらに知られていないのは東上線の「上」が何を意味しているのか。西に向かっているので、東上しているわけではありません。
もともとは、群馬(上州)、さらには新潟県・長岡市を目指した

東武鉄道のHPでは、路線名は東武東上線となっていますが、「停車駅のご案内」では、東上本線・越生線と分けています。
つまり、東武鉄道公式路線名称(国土交通省監修『鉄道要覧』上での名称)は、東武東上本線、越生線で、池袋駅を起点とする運用上の名称(通称)を東武東上線と呼び分けていることがわかります。
東武東上線のルーツは、明治時代に、東京と川越を結ぶ鉄道敷設の気運が盛り上がったことが背景にあります。
川越は、江戸と新河岸川(しんがしがわ)などの舟運で結ばれ、川越城下を15:00頃出発、翌朝8:00に千住に到着という夜行便も運航されていました。
明治の文明開化、近代化を受け、川越鉄道(西武新宿線の前身)が明治28年3月21日に国分寺駅〜川越駅(現・本川越駅)を全通させていました。
川越と東京を結ぶ鉄道敷設は、京越鉄道が池袋〜川越に、川越の豪商・内田三左衛門や千家尊賀が名を連ねた日本興業鉄道が東京・小石川〜川越〜高崎(現・群馬県高崎市)に鉄道を計画しましたが、いずれも実現しませんでした。
そのため、明治36年12月23日、川越の豪商・内田三左衛門や千家尊賀は新たに東上鉄道の仮免許申請書を鉄道を所管する逓信省に提出。
仮免許申請時の起点は東京・大塚、終点は群馬県渋川町(現・渋川市)で、ゆくゆくは新潟県長岡市を目指すという壮大な計画のため、渋川のあったのが上州ということで、東京と上州(群馬県の旧国名・上野国)から東上鉄道となったのです。
つまり、東上線の「東」は東京、そして注目の「上」は上州ということに。
起点は当時繁栄していた大塚辻町(現在の東京メトロ新大塚駅あたり)でしたが、山手線の内側への乗り入れを東京市が認めなかったなどの理由で、まだまだ農地が広がる山手線池袋駅に接続することに変更されました。
東上線が下板橋駅から急カーブを描いて池袋駅へと進入するのは、もともとは大塚方面(東側)を想定していたから。
結果として、この上州を目指した東上鉄道の池袋乗り入れが、池袋のターミナル化につながったのです。
東上線は群馬県までは到達できませんでしたが、池袋の繁栄のきっかけをつくったといえるのです。

意外に知らない! 東武東上線の「上」は何を意味する!? | |
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