権威ある公益財団法人日本城郭協会が選定する日本100名城ですが、日本最北端、そして最東端が北海道根室市にある根室半島チャシ跡群。国の史跡となる24ヶ所のチャシの跡を包括して日本100名城に選定していますが、最東端に位置するのが納沙布岬灯台近くのポンモイチャシです。
チャシ(chasi)はアイヌ語で「砦・館・柵・柵囲い」の意

チャシとは中世〜近世にアイヌが築いた砦(とりで)で、チャランケ(談合)などにも使われた場所。
根室市内には32ヶ所のチャシの跡が確認され、そのうちの24ヶ所が日本100名城の根室半島チャシ跡群。
チャシが半島北側、オホーツク海側に多く築かれ、南側(太平洋側)に少ないのはオホーツク海側に政治的・軍事的な緊張状態が続いていたから。
寛政元年(1789年)、クナシリ(国後)のアイヌが松前藩の圧政で搾取されることに反発、国後島の運上屋を襲い、対岸のメナシ(目梨=根室半島)に渡りメナシアイヌと連合して和人71人を殺害するという事件(クナシリ・メナシの戦い)も起きていますが、そうした蜂起の舞台となったのも、根室半島。
松前藩とアイヌとの直接対決には至らず、アイヌ側の首長の仲介などもあり、最終的にはノツカマップ岬(ノツカマフ1・2号チャシ跡)で戦いの中心となったアイヌ37人が処刑されて幕を下ろしています。
取り調べの結果は、運上屋(飛騨屋)の支配人、番人らの非道(アイヌを餓死するほどまでに酷使)が明らかになっています。
こうした和人に対しての蜂起は数えるほどで、チャシが築かれているのもアイヌ内部の地域的な対立から。道東でもクナシリとメナシ、メナシとアッケシ(厚岸)というような緊張関係があったのです。
狩猟民族だったので、漁猟権に゙関しては地域間での諍いが多く、北海道内には500ヶ所ものチャシが築かれています。
石垣を用いておらず岬などの先端部の地形を巧みに活かし、空壕と土盛りした台地で構成する小さい砦ばかりで、しかもその多くは開発で失われています。
開発から逃れ、いまも原生花園の状態で残されるのが根室半島チャシ跡群ですが、発掘調査などもあまり進んでいません。
納沙布岬南側の小さな岬にポンモイチャシの跡があり、かすかに空壕の遺構が残されていますが、標柱が立つのみで、訪れる人も稀です。
ポンモイとは、ポン(pon=小さい)・モイ(moy=入江)で小さな入江の意。
漁や交易に使われる貴重な入江だったのかもしれません。

| 【地図を旅する】vol.33 最北端・最東端の日本100名城は、納沙布岬に! | |
| 名称 | ポンモイチャシ/ぽんもいちゃし |
| 所在地 | 北海道根室市納沙布 |
| 電車・バスで | JR根室駅前バスターミナルから根室交通バス納沙布岬行きで35分、終点下車、徒歩5分 |
| ドライブで | 釧路空港から約167km。中標津空港から約105km |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |























